ワカシャチ漫遊記 「回顧録 熊野古道他Ⅲ」 2011年GW

5月2日(月)  熊野古道(中辺路) つづき
マイクロバスで中辺路(なかへち)の牛馬童子口バス停へ行きました。
牛馬童子口バス停から箸折峠⇒牛馬童子⇒近露王子⇒野長瀬一族の墓の
約1kmを歩きました。

熊野三所権現をまつる聖地・熊野へ至る熊野古道には「紀伊路」「小辺路」「中辺路」
「大辺路」「伊勢路」「大峰奥駆道」の6つのコースがある。
そのうち、中世に熊野詣の公式の参詣道として使われたのが、京都から大阪を経て
紀伊田辺から紀伊山地へ入っていく中辺路です。
このコースは古道らしい雰囲気が色濃く残り、見どころの多いことで人気が高い。
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牛馬童子像
中辺路の箸折峠にある像高約50cmの石像で明治時代に作られたものです。
その名の通り牛と馬の2頭の背中の上に童子がまたがっている像で、
一説に延喜22年(922)に熊野御幸を行った花山法皇の旅姿を模した
ものといわれています。
この石像のある箸折峠の丘は、花山法皇が御経を埋めた場所とも伝えられ
この地で休憩を取り、食事をするために萱の枝を折って箸代わりにしたと伝えられる。
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箸折宝篋印塔
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近露王子
近露という地名も、花山法皇が萱を折った際、萱の軸の赤い部分に
露が伝わるのが血のように見えたことから、「これは血か露か」と
尋ねられたのが由来となっている。
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野長瀬一族の墓
野長瀬氏は元弘二年(1332)から長禄元年(1457)までの百二十五年間、
一族を挙げて南朝方として忠節をつくした。
彼等を百年以上もの長きにわたって南朝方に尽くさせた原動力は、
大義名分だけであった。
南朝方最後の王、尊雅王の死によって、野長瀬一族は近露に帰っていった。
その後も、野長瀬氏は代々近露に居を定め、子孫は現代に続くといわれる。
しかし、野長瀬氏の活躍は南朝の終焉とともに終わった。

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熊野散策の最後は熊野本宮大社です。
かつては大斎原のある熊野川の中州に鎮座していましたが、
明治時代に水害にあい、流失をまぬがれた社殿三棟を現在地に移して再建された。

大斎原(おおゆのはら)の大鳥居
熊野川の中州に位置し、熊野の神の降臨の地と伝えられる。
熊野本宮大社の旧社地で、かつての名残を伝える日本最大級の大鳥居。
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熊野本宮大社
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熊野を目指す長い旅路の終着点は、熊野三所権現をまつる、
熊野本宮大社・熊野速谷大社・熊野那智大社です。
いにしえの旅人たちにならって幽玄な雰囲気に包まれた聖地に鎮座する
三社を巡ったので感動と、心の安らぎを得られました。
森や滝、渓谷、湧き出る温泉など神々が宿る地にふさわしい大自然も
癒しの効果も抜群でした。




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