ワカシャチ漫遊記「岐阜県名所めぐり」 2012年8月5日

光秀8月5日(日)
明智町 日本大正村を訪れました。
明智の町全体で大正村を盛り上げている雰囲気がありました。
明智町は戦国乱世の時代、逆臣の汚名を着せられ悲運の名将
明智光秀の生誕の地としても広く知られています。
この町には光秀にまつわるさまざまな伝説や史跡が多く遺されています。
白鷹城址、千畳敷公園、龍護寺、八王子神社などのほか、
光秀の母お牧の方の墓など町名の由来として語り継がれてきました。

明智駅よりスタートしました。
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日本大正村は岐阜県恵那市にあるテーマパークである。
旧恵那郡明智町の町おこしとして構想、立村された。
初代村長は高峰三枝子が、2代村長は司葉子が務めた。
特定の敷地内に設けられた施設ではなく、街全体(旧・明知町)として
大正時代の雰囲気を保存・再現した店舗、資料館、博物館などが軒を連ねている。
郵便局や銀行は実際の窓口業務も行っている。
大正ロマン館
大正モダンをイメージした洋風建築で、初代日本大正村村長高峰三枝子氏や
初代議長春日野清隆氏の記念館となっている。
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明智城跡
現在の岐阜県恵那郡旧明智町(現恵那市)にかつてあった山城。
白鷹城とも呼ばれる。
明智城は宝治元年(1247)、加藤景廉が築いたと伝えられます。
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龍護寺
龍護寺は山号は大明山、臨済宗妙心寺派の寺院です。
慶長元(1596)年明智城主遠山利景は、城の北に浄地を選んで
禅刹一宇を建立し、楞厳院を改め龍護寺としました。
建立の直後、覚岩和尚が法詞をついで第一世となり、この時以来龍護寺は
代々遠山氏の菩提寺となりました。
境内には遠山氏累代の墓、明智光秀の供養塔があります。
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お牧の方の墓
明智光秀公の母堂、お牧の方の墓所といわれる。
樹齢数百年を重ね、神木として崇拝され古くから「甘酒祭り」がうるう年に行われる。
寛保三年(1743年)に建てられたこの石塔は、明智光秀公の母堂、
お牧の方の墓所と言われ、当時の明智光秀に対する世評を慮ってか
ただ「南無阿弥陀如来」とだけ刻んであります。
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遠山氏屋敷跡
明智川のほとり、中馬街道沿いに、樹齢4百年と伝えられる桜の巨木が亭々と聳え、
川面にまで枝を伸ばし、毎年見事な桜をつけます。
土地の人はこれを「遠山桜」と呼んでいます。
この一郭は「遠山様」(お殿様のお屋敷)と古くから呼び伝えられてきました。
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大正村資料館(銀行蔵)
日本大正村の中心施設のひとつであり、明治~大正時代の教科書、
蓄音機などを展示する。
建物は通称「銀行蔵」といい、農家から預かったり買い取ったりした
繭を収納していた蔵であり、恵那市の有形文化財である。
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