ワカシャチ漫遊記「信楽と湖南三山を巡る(滋賀県)」 2012年9月2日

滋賀県甲賀市に行ってきました。
名古屋からは高速で1時間半で行けるお手頃なドライブコース。
甲賀といえば伊賀と並ぶ忍者の町です。
甲賀流忍者屋敷を訪れました。
伊賀流の本拠地である伊賀と甲賀流の本拠地である甲賀は、
それぞれ現代の三重県伊賀市と滋賀県甲賀市に存在していました。
地理的に言うと、この二つの町は山一つを隔てて隣接しているのです。
いわば同業者である伊賀と甲賀は、歴史上は敵対すること無く
同業者のよしみで協力関係を築き上げていたと言われる。
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この建物は、甲賀忍者53家の筆頭格、望月出雲守の住宅として
元禄年間に建築された。
外見は一般住宅の装いであるが内部構造は外的に備え非常に複雑な
仕組みになっている。

紫香楽宮跡
紫香楽宮/信楽宮は、奈良時代、聖武天皇が近江国甲賀郡
(現在の滋賀県甲賀市信楽町)に営んだ離宮。
後に甲賀宮(こうかのみや)とも称され、都となった。
740年(天平12年)の藤原広嗣の乱ののち、聖武天皇は恭仁京
(現在の京都府木津川市加茂町)に移り、742年(天平14年)には
近江国甲賀郡紫香楽村に離宮を造営してしばしば行幸した。
これが紫香楽宮である。
金堂跡、僧坊跡、塔院跡などがずらりと並ぶ礎石が当時の面影を
今に伝えています。
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信楽町とたぬき
信楽町は、かつて滋賀県の南東(甲賀地方)に存在した町。
陶磁器の信楽焼で有名である。
信楽焼の狸の置物の歴史は比較的浅く、明治時代に陶芸家の藤原銕造氏が
作ったものが最初と言われている。
1951年(昭和26年)、昭和天皇が信楽町行幸の際、たくさんの狸たちに
歓迎されたことに感銘して歌を詠んだ逸話によって、全国に名が知られるようになった。
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湖南三山
滋賀県の南東部に位置し、野洲川が流れる湖南市は、平成16年に石部町と
甲西町が合併して誕生した町です。
奈良時代に建立された天台院で国宝に指定された建築物が三カ寺、
常楽寺・長寿寺・善水寺です。
湖南三山と称される。
常楽寺
阿星山の北麓にある常楽寺は、和銅年間(708~715)元明天皇の
勅命により、良弁が開基した阿星寺五千坊の中心寺院として、
また、紫香楽宮(742~745)の鬼門鎮座として栄えた。
本堂(国宝)
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三重塔(国宝)
塔は本来仏舎利を安置する建物ですが、天台宗では法舎利を
安置して法華経の功徳による国家安穏、五穀豊穣を願った。
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長寿寺
聖武天皇の天平年中(729~748)良弁僧正によって建立された勅願寺。
現在本堂が国宝に指定されている。
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善水寺
奈良時代和銅年間(708~715)元明天皇勅命により鎮護国家の
道場として草創され、和銅寺と号した。
後に、京の都で桓武天皇御病の際、大師、霊仏出現の池水を
以て祈祷、満行を行い、霊水を天皇に献上すると、忽ち平癒する。
この縁によって善水寺の称号を賜る。
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本堂(国宝)
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水口城跡
水口宿の西方に位置する水口城は、水堀に囲まれた本丸と、
管理施設である二の丸の二郭から構成されている。
関ヶ原合戦後、徳川氏の直轄地となった水口は、
東海道の宿場町に指定された。その後、3代将軍徳川家光が、
寛永11年(1634年)京都への上洛の際の宿館として、道中の水口に築かせた。
これが水口城である。
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その後、土山の宿(49番目の宿)を少し歩き帰路に就く。

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