ワカシャチ漫遊記「奈良散策と司馬遼太郎記念館訪問」2013年9月 VOL.4

2013年9月15日(日)/
午前中司馬遼太郎記念館から奈良に戻り、
橿原神宮周辺を散策しました。

橿原神宮
橿原神宮(かしはらじんぐう)は、奈良県橿原市の畝傍山の東麓、
久米町に所在する神社です。
記紀において初代天皇とされている神武天皇を祀るため、
神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に、
橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により、
1890年(明治23年)4月2日に官幣大社として創建された。
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お参りを済ませたころから雨が降り始めました。

奈良県立橿原考古学研究所付属博物館
橿原考古学研究所附属博物館では、1938年以来行ってきた発掘調査の
出土資料を中心に、展示が行われている。
展示は、発掘調査で出土した実物資料が中心で、
常設展「大和の考古学」は日本考古学の基準資料を基に
「目で見る日本の歴史」になっている。
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ボランティアの方にじっくり説明を聞くことができました。

旧石器~国府型ナイフ形石器
三郷町勢野峰ノ阪遺跡下層石器群は
炭素同位体(C14)による年代測定法によって、
2万5千年前の石器であることがわかりました。
礫を分割して石核の素材とする技術は、
この時期の列島に広く発見されています。
近畿ではさらに発展して、瀬戸内技法とよばれる翼の形をした
剥片を量産する技術へつながっていきました。
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縄文時代~隆起線文土器
環日本海地域の細石刃・尖頭器文化が、新たに石鏃を作り始める頃、
列島に土器が発生します。これが世界最古の土器です。
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弥生時代~銅鐸
列島の青銅器文化は、中国東北地域から朝鮮半島を南下した
青銅器文化を源とします。
畑作・狩猟を生業とする、シャーマニズムの地域に発した
青銅器文化が母体でした。
武器を中心にして、鏡・小銅鐸を加えながら南下する青銅器文化に、
稲作をおこなう人々もまた神の権威をみました。
そして弥生時代前期末に九州に到来したのち、近畿では銅鐸がことさらに発達します。
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古墳時代~埴輪
古墳に立てる埴輪は、時期とともにその種類がかわります。
まず、埋葬の中心となる墳丘頂上部では、円筒埴輪や器財埴輪、
家形埴輪が方形に取り囲んでいました。
5世紀後半に新たに加わる人物と動物の埴輪の組み合わせによって、
葬送と引き継ぎの儀礼の様子を再現しています。
しかし、墳丘の外表を飾るのは埴輪だけではありません。
このことを強く印象づけたのは、四条古墳の発掘調査でした。
この調査では、人物などの形象埴輪とともに、
各種の木製品が多数出土しました。
同じことは、石見遺跡(古墳)の調査でもわかっていました。
木製品には、葬送の儀礼に使用されたものと、
埴輪と同じように古墳の周囲に立て並べたものとに分けられます。
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3世紀後半、奈良盆地の南東部に大型前方後円墳が突如としてつくられます。
それが最初の大王墓、箸墓古墳です。昨日散策しました。
その造営に直接かかわった纒向遺跡では、
遺跡内に箸墓に先行する石塚古墳などがすでにつくられていました。
纒向を最初の都とする考えが有力ですが、
まだその中心となる部分は発掘で確認できていません。
また、箸墓古墳に類似した初期の古墳が瀬戸内から北部九州にあり、
それらの地域によるまとまりが、初期のヤマト王権を支えたと考えられます。

藤の木古墳埋葬品(国宝)
藤ノ木古墳のつくられた6世紀後半に、
朝鮮半島では新羅によって伽耶が滅ぼされました。
それまで伽耶を通じて大陸文化に接していた日本列島の
大王家や有力豪族たちは、新たな窓口を百済ないし新羅に求めました。
そのため、藤ノ木古墳の金銅製馬具のように、それまでとは系譜の異なる
新しい文物がもたらされることになりました。
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※藤の木古墳は盗掘に会わなかったため、貴重な埋葬品が
沢山出てきたそうです。

飛鳥・奈良時代~火葬の始まり
7世紀後半になると、墳丘全面に石を貼り付けた古墳や、
八角形の墳丘が登場します。
石室には切石積石室や横口式石槨、磚積石室などが採用され、
漆塗りの荘厳な棺が納められました。
その技術には、版築や切石、漆喰といった寺院建築の技術が大幅に導入されています。
そして、少ないながらも正倉院にみられるような豪華な品々が添えられました。
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700年(文武4)僧道昭は遺言により荼毘にふされました。
わが国における火葬のはじまりです。
702年(大宝2)には、持統天皇も火葬され、天武天皇と合葬されます。
こういった火葬は、仏教思想とは別に、当時、新羅でおこなわれた
火葬や薄葬思想の影響が強くあります。
また、火葬は、広い階層の人々に定着することはなく、天皇にしたがった
役人のあいだで、一種の流行のように採用されていました。
太安万侶墓誌
1979年(昭和54年)1月23日、奈良県立橿原考古学研究所より、
奈良県奈良市此瀬町の茶畑から安万侶の墓が発見され
火葬された骨や真珠が納められた木櫃と墓誌が出土したと発表された。
墓誌の銘文は2行41字。左京の四条四坊に居住したこと、
位階と勲等は従四位下勲五等だったこと、
養老7年7月6日に歿したことなど記載されていた。
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奈良の遺跡の多さと、研究の奥深さ、
しかしまだわかっていないことの多さを実感しました。
一通りの説明を聞いて博物館を出ると、雨が一段とひどくなっていた。
藤原京跡など近くにあったが、今回はやむを得ず帰路につきました。
夕食を済ませ、台風が来る前、7時には帰宅。


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