ワカシャチ漫遊記「ウォーク&ハイキング」2014年2月・3月

2014年ハイキング&ウォーキング
2月23日(日)
多度山ハイキング
登山仲間の山中さんと、今年最初のハイキング。
2度目の多度山へ登りました。
多度山は前回も快晴、今年も快晴でした。
多度駅出発 9:00
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多度山山頂(402.7m)到着 10:30
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多度大社へお参り 下山 11:30
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温かいお茶とお団子・大福を食べる。
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3月16日(日)
ウォーク&ジョグフェスタ
愛知県長久手市の愛・地球博記念公園で開催されました。
3kmのウォークへ参加しました。
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スタート 9:30
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途中寄り道して、前回時間切れで見れなかった
トトロの「サツキとメイの家」を観覧しました。
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映画で出てくる場面が思い出されます。
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3月22日(土)
岐阜県垂井町 南宮山ハイキング
南宮大社
金山彦命(かなやまひこのみこと)を主祭神に、
旧国弊大社で美濃国一の宮として、また全国の鉱山、
金属業の総本宮として、今も深い崇敬を集めています。
社伝では神武天皇即位の年の創建とされ、
慶長5年(1600)の関ケ原合戦で社殿のすべてを焼失。
寛永19年(1642)、3代将軍徳川家光が再建したといわれています。
広い境内には、本殿・拝殿・楼門など、朱塗りの華麗な姿を並べ、
江戸時代の神社建築の代表的な建築物15棟が、
国の重要文化財に指定されています。
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南宮山ハイキングは南宮大社横を通りスタートします。 14:20スタート
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南宮山山頂(404m)到着 15:15
南宮山は関ヶ原の戦いの、毛利軍の陣跡がある山です。
関ヶ原の戦い時、毛利氏の運営は秀元及び
恵瓊と吉川広家によって担われていた。
輝元は西軍の総大将として大坂城に入っていたので、
実際に関ヶ原へ赴いたのはこの3人であった。
広家と毛利家家老の福原広俊は西軍の勝利を危ぶみ、
東軍と密かに内通して「毛利は表向きは西軍であるが、
戦場では戦わずにそちらに協力する。
その代わり、東軍が勝利した暁には所領を安堵してほしい」
と交渉していた。
秀元自身には戦意があったとされるが、広家がそれを押し留めた。
戦局が西軍の敗色濃厚となると戦わずに戦場を離脱する。
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山頂からは濃尾平野が一望できる。
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垂井町散策
垂井宿
垂井宿(たるいじゅく)は中山道57番目の宿場(→中山道六十九次)で、
現在は岐阜県不破郡垂井町。
西町・中町・東町の3町に分かれ、本陣は中町にあった。
大垣・墨俣などを経由して東海道宮宿とを結ぶ脇往還美濃路との追分で、
西美濃の交通の要衝であった。
竹中氏陣屋跡
豊臣秀吉の名軍師、竹中半兵衛重治とその一族の活躍には
目を見張るものがありました。
拠点であった陣屋跡には白壁の正門、がっしりとした石垣が残っており、
一族の隆盛を物語っています。
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竹中重治(たけなか しげはる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
初名は重虎、のちに重治。通称は半兵衛(はんべえ)。
父は竹中重元、弟に重矩。子に重門。従兄弟に竹中重利。
戦国時代を代表する軍師としても知られ、織田氏の家臣である
羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の参謀として活躍し、
黒田孝高(黒田官兵衛)とともに「両兵衛」「二兵衛」と称された。

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