ワカシャチ漫遊記「シリーズSI(市) 第四話 東海市」

2015年3月8日(日)
ご当地、愛知県東海市を訪れました。
東海市
東海市は昭和44年4月に上野町と横須賀町の合併により、
愛知県下23番目の市として誕生しました。
風光明媚な知多半島に位置し、名古屋市に隣接する
好立地を生かして発展してきました。
特に、昭和14年に愛知製鋼が電気炉を建設したことに始まり、
昭和36年に新日本製鐵が、翌昭和37年には大同特殊鋼が次々と工場を建設し、
一大鉄鋼基地が生まれました。
一方、花王国・愛知の中でも東海市は洋ランの生産が
県内有数の生産量を誇っています。
平成27年3月現在の人口は、112,590人。
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東海市出身の偉人
良忍上人
平安時代後期の天台宗の僧で、融通念仏宗の開祖。聖応大師。
尾張国知多郡の領主の秦道武(はた の みちたけ)の子。
良仁とも書き、房号は光静房または光乗房。
在原業平
六歌仙の一人で「伊勢物語」の主人公として有名な
在原業平にまつわる伝説が伝わっています。
中でも、業平と女官アヤメとの悲恋を偲ぶ五基の
「五輪塔」や「業平塚」は今も現存しています。
また、宝珠寺には業平の位牌や
江戸時代中期の作といわれる座像が安置されています。
宝珠寺観音堂(ほうしゅうじかんのんどう)
平安時代に在原業平が創建したと伝えられています。
平安時代末に融通念仏宗の開祖である聖応大師良忍上人が、
その父である藤原道武の帰依によって正法山一心院を建立し、
藤原家累代の墓所としたといい、藤原道武は業平塚の脇に
開基を在原業平とする寺院(宝珠寺)を復興し、
業平等の菩提塔を建立したといわれています。
宝珠寺観音堂は棟札によって正徳5年(1715年)に
建てられたことがわかり、建物の様式的にも
江戸時代中期のものと思われます。
観音堂の一部は改修されていますが、
内も外も当初の姿をよくとどめており、
伝統的な技法を守って建てられ、三間堂としても形が整っており、
建築の質も高く、江戸時代中期の建築として高く評価されています。
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観福寺
観福寺は寺伝によれば大宝2年(702)行基の創建とされるが、
現在の本堂は寛文5年(1665)に尾張2代藩主徳川光友の造営によるものである。
本尊の十一面観世音菩薩を安置する宮殿は、
桁行一間、梁間一間の入母屋造、こけら葺で、
背面板壁の墨書により宝治2年(1248)の建築と知られ、
年代の確認できる基準作として価値が高い。
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細井平洲
愛知県東海市生まれの江戸時代の学者。
政治や教育事業の指導者として、知識の実践を重んじた教えは、
全国各地の大名から一般庶民まで幅広い層の心をとらえました。
また、米沢藩の名君 上杉治憲(鷹山)の先生として有名です。
「学んだことを生かす」という実学が平洲先生の信条で、
吉田松陰や西郷隆盛にも影響を与えた。
東海市立平洲記念館
江戸時代の儒学者で郷土の偉人である細井平洲の記念館で、
1974年(昭和49年)3月に開館。
館内には平州直筆の書画などを展示する「平州記念館展示室」のほか、
情報コーナーの「平洲ホール」や平州が東京で開いた塾から名前をとった
講義室「嚶鳴館(おうめいかん)」などがある。
また、郷土資料館を併設しており、市内の遺跡から出土した
考古資料のほか、民俗資料などの展示も行っている。
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聚楽園(しゅうらくえん)大仏
東海市といえば、大仏です。
昭和2年5月21日、昭和天皇のご成婚を記念して
開眼供養された聚楽園大仏。
名古屋の実業家・山 田才吉が建立し、現在はまちのシンボルともなっている。
鉄筋コンクリート製で、高さは18.79mと、
鎌倉の大仏(11.5m)より大きい。
台座には、一 切経の写経石が埋められています。
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東海市でランチ
ノンナ・カコーレ
ノンナ・カコーレの料理は、昔から伝わる おばあちゃんの手料理のような、
素朴で愛情こもったイタリアの家庭料理です。
新鮮で安心安全な地元の食材を使い、
からだに優しい料理をお値打ちにご用意しています。
野菜サラダは、新鮮、量たっぷりです。
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