ワカシャチ漫遊記「奈良散策」2015年7月VOL.3

2015年7月12日(日) 奈良2日目後半。
奈良町散策を終えて、折角奈良まで来たのだから、
東大寺に行きました。
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昨夜、冨田さんに聞いた東大寺の豆知識を確認しました。
東大寺の大仏殿には窓がある。
大仏殿正面の桟唐戸と言われるところは、
元旦と8月15日の万灯供養会の夜の年2回、開かれ、
中門の基壇上から見上げるとちょうど窓の中に
大仏さまのお顔を拝むことができる。
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鴟尾(しび)に関して。
瓦葺屋根の大棟の両端につけられる飾りの一種である。
寺院・仏殿などによく用いられる。
後漢以降、中国では大棟の両端を強く反り上げる建築様式が見られ、
これが中国などの大陸で変化して3世紀から5世紀頃に
鴟尾となったと考えられている。
唐時代末には鴟尾は魚の形、
鯱(海に住み、よく雨を降らすインドの空想の魚)の形等へと変化していった。
瓦の伝来に伴い、飛鳥時代に大陸から日本へ伝えられたと見られている。
火除けのまじないにしたといわれている。材質は瓦、石、青銅など。
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少し予定の時刻より早かったので、西ノ京へ行き
薬師寺・唐招提寺でご朱印いただきました。
薬師寺
薬師寺は「法相宗[ほっそうしゅう]」の大本山です。
天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、
更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。
その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたものです。(718)
現在は平成10年よりユネスコ世界遺産に登録されています。
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金堂
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西塔※東塔は解体修理中。
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唐招提寺
聖武天皇の招きに応じ、苦難の末、日本にやってきた
唐僧鑑真和上によって建立されました。
鑑真は日本に着いてから5年間、戒壇院での授戒を
制度として確立するために東大寺で過ごしましたが、
東大寺から解放された後、故新田部親王(天武天皇の第七皇子)の旧宅を賜り、
そこを「唐律招堤」と称し、戒院として教学の場を営むことになりました。
やがて鑑真を支持する人々から居室や宿舎を贈られ、
倉庫、食堂、講義用の講堂、本尊を安置する仮金堂などが建てられ、
鑑真の没後も金堂や東塔が建立されました。
平安時代初頭に伽藍全体が完成し、
そのころ「唐律招堤」から「唐招提寺」となりました。
金堂
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開山堂
開山堂は元禄時代に徳川家歴代の御霊殿として建立され、
その後明治14年(1881)に鑑真大和上の尊像を安置するため
現在の位置へ移築されました。
国宝の和上像が御影堂へ移されたのち、
覚盛上人・聖武天皇・徳川家康を安置した
本願殿として参拝されていましたが、
御堂の老朽化をうけて改修工事を行い、
鑑真大和上円寂から1250年になる平成25年(2013)、
大和上のお姿を写した「御身代わり像(おみがわりぞう)」がつくられ、
再び開山堂として落慶致した。
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奈良散策、お寺の参拝はここで終わりです。
ここからは、今回の旅行で食した奈良名物の紹介です。
ならまち あしびの郷
ならまちご膳
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北京料理 奈良百楽
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茶房 暖暖茶粥
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砂糖傅 増尾商店
和三盆のお土産・金平糖
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彩華本店(天理)
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彩華ラーメン
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絵図屋 五重糖蜜
ひむろしらゆき祭開催中
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食も大満足な2日間でした。
あらためて、冨田さんに感謝。

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