ワカシャチ漫遊記第2章「宇和島散策~雛祭・梅まつり」2018年3月3日

2018年3月3日(土)雛祭
宇和島の梅まつりに行ってきました。
松軒山(しょうけんやま)公園
朝一、松山から2時間、宇和島を通り越し、愛南町まで行きました。
松軒山公園には“8500本の梅林園や、眺望絶景の展望台”
とHPで見たので早速行ってみました。
がしかし、駐車場はがらがら。
守衛の人に話を聞くと、「ここの梅は、食用の梅で観賞用ではない、
お祭りは宇和島の方ですよ。」だそうです。
急いで宇和島へ引き返しました。
というのも今日は午後から雨の予報でした。
宇和海展望タワーと梅を撮ってみました。
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南楽園
南予レクリエーション都市の一環として、1985年に
愛媛県北宇和郡津島町(当時)にて開園した。
総面積153,322平方メートルの庭園は上池・下池二つの池を中心に
現代造園技術の粋を集めて築いた四国最大規模の日本庭園です。
平成元年に「日本の都市公園100選」に選ばれました。
池の周囲を歩いて観賞できる池泉回遊式日本庭園で
「山、里、町、海」の景観を構成しています。
この時期は、160本の梅が咲き1か月にわたって花見が楽しめ、
梅の馥郁とした香りに包まれながら鑑賞ができます。
現在満開見ごろとなっていました。
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敷地の広さと、梅の香りと、梅の美しさに感動でした。
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南楽園のひな人形
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和霊神社
和霊神社(われいじんじゃ)は、愛媛県宇和島市にある神社です。
漁業を中心に広く産業の神として、中四国で崇められている和霊信仰。
その総本山といえるのが、この和霊神社です。
祭神である山家清兵衛(やんべせえべえ)は、米沢の生まれ。
伊達秀宗の元で、産業の拡充、民政の安定に手腕を発揮した清兵衛ですが、
元和6年(1620)凶刃に倒れました。
その後この事件に関与した者が相次いで海難や落雷で変死したため、
人々は清兵衛の怨霊だと恐れ、その霊を城北の地にまつりました。
それが和霊神社の始まりです。
石造りでは日本一の大きさといわれる大鳥居が空に向かってそびえ立っています。
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宇和島市立伊達博物館
「伊達は十万石、鶴島城址・・・・・・」と宇和島小唄にもうたわれているように
宇和島は伊達十万石の城下町として発展し、早くから文化の開けた所です。
慶長20(1615)年に初代秀宗(伊達政宗の長男)が入国して以来、
歴代藩主の善政によって殖産興業、文化の興隆めざましく、
香り高い幾多の文化遺産を保有しています。
特に八代藩主伊達宗城は賢侯のきこえ高く、内政の充実はもちろん、
幕末の政局多端に際しては、松平慶永・山内豊信・島津斉彬らとともに
大いに活躍したところから、中央との交流もしげく、
他に見ることのできない貴重な文化財が残されています。
昭和47(1972)年に市制50周年を迎えた宇和島市は、それを記念して、
これらの文化財を公開し、この博物館を建造しました。
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伊達博物館のひな人形
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天赦園(てんしゃえん)
天赦園は、愛媛県宇和島市にある日本庭園。国の名勝に指定されている。
元は宇和島藩2代藩主の伊達宗利が海を埋め立てて造成した
浜御殿の一部であったが、幕末に7代藩主の伊達宗紀が
慶応2年(1866年)に築庭した。
鬼ヶ城連峰を借景とした池泉回遊式の庭園で、大名庭園でもある。
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本日のランチ
とじま亭
宇和島駅近くのとじま亭で今が旬なブリづくし。
刺身に、あぶり、ぶりカツ、カルパッチョ、ぶり大根。
この定食で980円はびっくりでした。
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本日のおまけ
西予市の水田で(JR伊予岩城駅すぐ)名物となっている巨大な
わらマンモスが、建築基準法に抵触すると、取り壊しが決まった。
と心配されたが、県は同法で規制されている工作物には該当しないと
一転、存続することになった。
というニュースが2日の新聞に載った。
今日見に行ったが、反響も大きく多くの人が訪れていた。
わらマンモスは衣替えの真っただ中でした。
岩城駅からマンモスの後ろ姿が見えます。
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作業をしている人に
「どうぞ田んぼの中へ入っても大丈夫ですよ!」と言われ
近くまで行ってみました。
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電車との共演
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ホッとしました。

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