ワカシャチ漫遊記第2章「リベンジゆすはら散策」2018年3月

2018年3月10日(土)
去年8月に続き、2度目の高知県檮原町を散策しました。
去年の散策は雨で散々でした。
今日は快晴、リベンジできました。
内子経由で檮原町へ行く途中に、寄り道して
坂本龍馬脱藩之日記念館に行きました。
坂本龍馬脱藩之日記念館
愛媛県大洲市河辺町の坂本龍馬脱藩之日記念館は、
坂本龍馬が自由人として生き始める第一歩を
旧河辺村で踏み出したことを記念して設立されました。
龍馬が通過した旧河辺村内の峠や谷の様子を
写真パネルで紹介しながら脱藩ルートを疑似体験できます。
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坂本龍馬脱藩ルート
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飛翔の像
脱藩のとき、河辺を通った坂本龍馬、沢村惣之丞、那須俊平の
顕彰碑「飛翔の像」は、坂本龍馬脱藩之日記念館の近くに建っている。
中央に坂本龍馬、左に沢村惣之丞、右に那須俊平である。
肩に刀をかついた龍馬像は珍しいそうです。
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韮ヶ峠
どうしても行っておきたかった場所。
前回も少し遠く、道も狭く行けなかった場所です。
龍馬が脱藩したとき、案内した那須信吾と別れた県境の峠です。
文化庁の「歴史の道100選」
韮ヶ峠(にらがとうげ)は、愛媛県と高知県の県境、
坂本龍馬が脱藩した峠です。
龍馬脱藩の道についてはいくつかの説がある。
沢村惣之丞が脱藩道筋を書いた文書「覚 関雄之助口供之事」 によると、
文久2年(1862年)3月26日、龍馬は四万川から
韮ヶ峠を経て脱藩したことが記されている。
156年前の同じ3月です。
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足形は落ち葉に埋もれていました。
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茶堂(ちゃどう)
檮原町内各地に今も現存するお茶堂です。
慶長9年(1604)から11年にかけて津野山郷各村々に茶堂を建て、
弘法大師、考山霊、三界万霊を祭り、厄払招福の祭りをする
申し合わせがなされたと、その起源について伝えられています。
そのお堂は、二間(3.6メートル)に一間半(2.72メートル)位の
木造平屋建、茅葺屋根、板敷きの素朴な形式であって、
木像、石像等の諸仏を安置し、信仰と心情と社交の場として、
町内に13棟が保存されています。
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三嶋神社
四万十川の支流、梼原川沿いに立つ風格ある神社。
梼原町と津野町を含む一帯は津野山郷と呼ばれ、
開祖の津野経高が伊豆から三島大明神を勧請したといわれる。
境内に続く参道にかかる神幸橋(みゆき橋)は木製屋根付き。
境内から左側に延びる山道は坂本龍馬脱藩の道に指定されている。
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作家司馬遼太郎さんは奥様のみどりさんと「街道をゆく」の取材で
昭和60年に三嶋神社を訪れています。
当時の様子は、「檮原千年物語り」で見ることができます。
その時の話は「街道をゆく:因幡・伯耆のみち、檮原街道」に収められています。
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折角の晴れの日だったので去年の8月に訪れた場所へ
もう一度行っておきました。
ゆすはら座
ゆすはら座(ゆすはらざ)は、高知県高岡郡檮原町の木造芝居小屋。
現在の建物は平成7年に修復・移転されたもの。
現在は神楽の上演や各種講演やまちづくりの会合等に活用されている。
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掛橋和泉邸(吉村虎太郎庄屋跡)
吉村虎太郎をはじめとする庄屋跡地に、
明治維新の志士・掛橋和泉の邸宅を移築した観光スポット。
客室10畳・玄関の間6畳・中の間と奥の間各8畳のほか全6部屋からなり、
天井裏には姫隠しの間と呼ばれる国事を談じたといわれる隠し部屋があります。
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維新の門
維新の門群像は、高知県梼原町の和田城跡に建っています。
群像の中央には家財を費やして志士たちを援助した掛橋和泉、
向かって右側には坂本龍馬、澤村惣之丞、那須俊平、
左側には、吉村虎太郎、那須信吾、前田繁馬、中平龍之助である。
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帰路は久万高原経由で松山に戻りました。

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