ワカシャチ漫遊記第3章「四国88ヶ所巡礼再開と徳島散策」2019年8月VOL.3

2019年8月17日(土)
7月に続き徳島へ行きました。
今回は四国88ヵ所最後の4ヵ所のお寺参りと、
結願のお寺大窪寺で結願証明書をもらうことでした。
途中、美馬市を散策しました。
藤井寺
全長236キロ、四国最大の吉野川が阿波の北部を貫流している。
阿波中央橋を南に渡り、およそ3キロの山麓に十一番霊場の山門が見えてくる。
三方を山に囲まれ、渓流の清らかな仙境に心を惹かれた弘法大師が、
この地で護摩修法をされたのは弘仁6年のことと伝えられている。
大師は42歳の厄年に当たり、自らの厄難を祓い、衆生の安寧を願って薬師如来像を彫造して、堂宇を建立した。
その地からおよそ200メートル上の8畳岩に、金剛不壊といわれる堅固な護摩壇を築いて、一七日間の修法をされた。
その堂宇の前に5色の藤を植えたという由緒から、金剛山藤井寺と称されるようになった。
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大師お手植えと伝わる古木の藤棚が有名だが写真撮っていなかった。
本堂左手に焼山寺への山道があった。
ここから山を3つ超え歩いて約6時間くらいかかるそうだ。
我々は車で30分で焼山寺へ行く。
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杖杉庵(じょうしんあん)
杖杉庵は、最初に四国八十八箇所を巡った伝説の人物とされる衛門三郎
終焉の地伝説が残る場所に建つ寺院である。
伝説によれば、平安時代前期の天長年間(824年 - 833年)に、伊予国の人であった衛門三郎は
四国巡錫中の弘法大師に行った無礼な行いを詫びるため弘法大師を追って旅に出たという。
21回目に逆回りを行っている途中、四国八十八箇所12番札所焼山寺近くのこの地で力尽き病に倒れた。
そこに弘法大師が現れ、衛門三郎は非礼を詫びた。
大師が衛門三郎に来世の望みを訊くと、生まれ変われるなら河野家に生まれたいと望んで息を引き取った。
そこで大師は「衛門三郎再来」と書いて左の手に握らせた。天長8年(831年)10月20日のこととされる。
大師は衛門三郎をこの地に葬り、墓標として衛門三郎が遍路に使用した杉の杖を立てた。
これがやがて根を張り杉の大木となったという。
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焼山寺(しょうさんじ)
焼山寺山(標高938メートル)の8合目近くにあり、四国霊場で2番目に高い山岳札所。
剣山や白髪山など四国山脈の山々がひろがる眺望はすばらしい。
四国霊場には「遍路ころがし」といわれた札所がいくつかあるが、焼山寺もその一つで、
昔から嶮しい坂道の難所を辿る「修行の霊場」であった。
いまは山上まで車道が通っている。
縁起によると、飛鳥時代に役行者が山をひらいて、蔵王権現を祀ったのが寺のはじまりとされている。
2日前に大きな台風が四国を直撃した後で、道は荒れていたが何とか通り抜けることができた。
駐車場からの参道も、木が倒れていたり、爪痕が残る。
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山越えの県道(細い道)を美馬市まで車で降りました。
うだつの上がる町並み
うだつの上がる町並みは、以前岐阜県の美濃市を訪れたことがあったが
徳島では美馬市が有名です。
美濃市に比べると、規模が少し小さいが立派なうだつを見ることができます。
美馬市は吉野川北岸の主要街道の撫養街道と讃岐への街道が交差する交通の要衝であり、
さらに吉野川に面するため舟運の利用にも適した位置にあります。
この町並みは、脇城の城下町として成立し、藍の集散地として発展したものです。
現在は明治時代頃のものを中心として江戸中期~昭和初期の85棟の伝統的建造物が建ち並んでおり、
近世・近代の景観がそのまま残されています。
この町並みの大きな特徴は、町家の両端に本瓦葺きで漆喰塗りの「うだつ」が多くみられることであり、
このことから「うだつの町並み」の通称で親しまれています。
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建物の見方
①鳥ぶすま:鳥が鬼瓦に糞をしないための止まるところ。帆掛け船の帆の形。
②鬼瓦:魔除け、火除け、雷除け、家の守り神
③うだつ(卯建つ):隣からの火の粉を防ぐ、富の証として競った。
④虫籠窓(むしこまど):虫籠みたいな形、明かり、風いれ。
⑤のれん掛け
⑥出格子:格子が出ている。
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脇町劇場(オデオン座)
1933(昭和8)年8月、藤中富三氏・清水太平氏らが中心となり、旧脇町に劇場を建設することを提唱し、
翌年、脇町劇場は西洋モダン風の外観で、回り舞台、奈落などを備えた本格的な芝居小屋として建てられました。
戦前には歌舞伎や浪曲の上演で人気を集め、戦後には歌謡ショー公演や映画上映など地域の憩いの場として親しまれました。
その後、映画の斜陽化と建物の老朽化が重なり、閉館、取り壊される予定でした。
しかし、山田洋次監督の松竹映画『虹をつかむ男』のロケ舞台となったことがきっかけで、
平成11年に町指定文化財として昭和初期の創建時の姿に修復され、一般公開されることになりました。
毎年「うだつがあがる芝居公演」、「林家一門会」が開催されています。
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楽屋には三平師匠の言葉が襖に書かれています。
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本日のランチ
うだつの町並みにある茶里庵で郷土料理を食べる。
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そば米雑炊
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半田そうめん
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十楽寺
寺は現在地から北3キロほど奥の十楽寺谷の堂ヶ原にあったと推定される。
大同年間に弘法大師がこの地を巡教して逗留されたときに阿弥陀如来を感得し、
如来像を刻んだのが本尊として祀られたと伝えられている。
その際に、大師は生・老・病・死など人間として避けることのできない苦難に、
10の光明と、輝く楽しみが得られるようにと「光明山十楽寺」の寺名を授けたといわれる。
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安楽寺
安楽寺は弘法大師によって温泉湯治の利益が伝えられた旧跡で、山号は温泉山とされた。
(現在も大師堂前から温泉が湧き出ている。)
桃山時代に阿波藩祖・蜂須賀家政公が「駅路寺」と定め、四国遍路や旅人の宿泊、茶湯接待の施設を置いた。
その記録である「駅路寺文書」(慶長3年=1598)が今も残されており、宿坊は以来400年の歴史を有する。
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今日の安楽寺で、順番は前後しましたが、四国88ヵ所の巡礼が終わりました。
ということで、結願のお寺(88番目)、香川県の大窪寺によって、
結願の証明書をいただいて帰りました。
2,000円を支払って証書を書いていただけます。
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これからの予定ですが、88ヵ所無事に巡礼できたことのお礼を
高野山の弘法大師に報告に行くのが通例です。
今秋には、高野山へ行こうと、これから計画します。
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