ワカシャチ漫遊記第3章「崇徳天皇ゆかりの地散策(坂出市)」2020年8月 VOL.1

2020年8月22日(土)23日(日)
香川県坂出市の崇徳上皇ゆかりの地を散策しました。
県外移動自粛中のコロナ禍の中、8月は県内中心の散策となりました。
崇徳天皇
崇徳天皇(すとくてんのう)は日本の第75代天皇で、鳥羽天皇の第一皇子。
平安時代末期の1156年(保元元年)に貴族の内部抗争である保元の乱で
後白河天皇に敗れ、讃岐に配流後は讃岐院とも呼ばれた。
讃岐に流されたのちの崇徳天皇
保元の乱に敗れた崇徳上皇は、讃岐へ流され、林田の雲井御所(くもいごしょ)で
約三年過ごした後、国府のすぐ近くの鼓岡(つづみがおか)にある
木ノ丸殿(このまるでん)に移られました。
木ノ丸殿での上皇は、一日中部屋にこもり、書物を読んだりお経を唱えたりしていましたが
一心に毎日お経を写し始め、三年もかかり多数の写経をし、下記の和歌を添え京都に送りました。
「浜千鳥 跡は都へ通えども 身は松山に 音をのみぞなく」
崇徳上皇としては、後の世のためを思い一心に写したお経だったため
讃岐のような田舎へ置いておくのがつらく、都に近い八幡山か高野山か
もし許しが得られれば鳥羽法皇の御陵に納めたいと思っていました。
しかし、京都の朝廷は、罪人の写したお経はよいお経のはずがないと受け取らず
崇徳上皇のもとに送り返してしまいました。
崇徳上皇はたいへん悲しまれたと云われています。
崇徳上皇は、権力の座を賭けた政争「保元の乱」の首謀者として
讃岐国(香川県)に流され、この地で亡くなった悲運の帝です。
百人一首にも選ばれるほどの和歌の才能を持ちながら波乱の一生を終え
のちに怨霊になって平清盛らを悩ませたと言われる崇徳上皇ゆかりの地を訪ねます。
白峯御陵
1164年8月26日、46歳で崩御された崇徳上皇は、遺体を八十場の泉に浸さた後
9月16日に白峰山で荼毘に付され、その場に葬られました。
お墓である御陵は、積み石の方墳であったといわれています。
都から遠く離れた地の御陵であったため、江戸時代には荒廃していたといわれています。
初代高松藩主松平頼重(まつだいらよりしげ)、五代頼恭(よりたか)、
十一代頼聡(よりとし)らにより、修復が重ねられ、参拝口を現在の南面に改めるなど
今日みられるように整備されました。
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勅額門
頓証寺の随身門であり、左右に保元の乱で崇徳天皇を守った
源為義・為朝父子の武将像が置かれていました。
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頓証寺殿
崇徳上皇の霊廟であり、建久2年(1191)遠江阿闍利章実が鼓岡の行在所を移して
上皇の自画像を奉安し、頓証菩提を弔ったのにはじまるといわれています。
現在の建物は延宝8年(1680)高松藩主松平頼重・頼常が再建したものです。
拝殿は檜皮葺き・前面蔀戸・庭前に橘と桜を植えて、御所の建物を真似ています。
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西行法師石像
保元物語によると、仁安3年(1168)白峯御陵(崇徳院)の御陵に詣でた西行は
陵前に座ってお経を繰り返し読み、「よしや君むかしの玉の床とても
かからんのちは何にかはせん」の歌を奉ったと云います。
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雲井御所跡
保元の乱に敗れ、讃岐の松山の津へ着船された当時の仮の御所。
上皇の御所がまだ出来ていなかったため、国府に勤める当地の庁官であった
綾高遠(あやのたかとお)の邸宅を仮の御所としたと伝えられています。
この最初の御所について、『保元物語』は、松山の御堂に入られたと伝え
『白峯寺縁起』には、上皇は高遠の御堂にて三年を過ごされたと記されています。
この仮の御所で毎日を過ごされた上皇が詠まれた歌に
「ここもまた あらぬ雲井となりにけり 空行く月の影にまかせて」というものがあります。
この歌にちなんで雲井御所と呼ばれるようになったといわれています。
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野澤井
1164年(長寛2年)8月26日、讃岐に流されて8年、崇徳上皇は鼓岡で崩御されます。
このことは直ちに都に伝えられ、上皇の遺体の処置について朝廷の指示を仰ぐこととなりました。
夏の暑い時期で、都からの指示を待つ間、古来から霊水と伝えられる野澤井の清水に浸して
遺体が腐敗することを避けたと伝えられています。
この野澤井とは、今の西庄町八十場の清水付近の古い呼び名です。
この清水は、坂出に伝わる悪魚退治の伝説に登場する霊水でもあり
悪魚の毒気に倒れた八十八人の兵士がこの水を飲んだことで蘇生したため
弥蘇場(やそば)の水とも呼ばれます。(現在は八十場)
今も昔と同様、夏に涼しい場所であり、多くの人が涼を求めて賑わっています。
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ということで、我々も、涼を求め八十場に来ました。
八十八ところてん清水屋(きよみずや)
創業200年の老舗でところてん購入。
時間が遅かったため、テイクアウトのみでした。
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<参考:崇徳上皇代表作(百人一首)>
「瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ」
意:滝の水は岩にぶつかると二つに割れるが、すぐにまた一つになるので、
現世では障害があって結ばれなかった恋人たちも、来世では結ばれましょう。

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