ワカシャチ漫遊記第3章「淡路島 洲本・南あわじ散策(水仙観賞)」2020年2月

2020年2月15日(土)
一日中どんよりとした天気でした。
淡路島の水仙が見頃を迎えているということで
洲本市・南あわじ市散策もかねて観賞してきました。
先山千光寺
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の二柱の神が
最初につくった山であることから、「先山」と名付けられたとされます。
千光寺は先山の頂上につくられ、そのすぐ下方には天の岩戸に姿を隠した
天照大神を祀る岩戸神社があります。
豊かな自然の中にある国生み神話ゆかりの地です。
IMG_5467.JPG
IMG_5477.JPG
IMG_5480.JPG
縁起にちなんだ珍しい駒猪
DSC_7444.JPG
DSC_7443.JPG
山頂からの眺めは「洲本八景
IMG_5474.JPG
岩戸神社
IMG_5490.JPG
IMG_5491.JPG
紀淡海峡と由良・成ヶ島
天然の良港としての由良は、瀬戸内の海上交通の重要な場所であった
紀淡海峡を収める拠点として、海上の交流・交易拠点として
紀淡海峡における海人の活動拠点となったことが考えられます。
また、『古事記』・『日本書紀』の中に書かれてある、
天日槍の「出石の刀子」ゆかりの生石神社もあります。
成ヶ島は洲本市南部由良市街地を守るように横たわる無人島で、
約2キロにのびる砂州があることから「淡路橋立」とも呼ばれています。
生石海峡展望台より紀淡海峡・紀伊半島を望む。
残念ながら、本日曇りのため、紀伊半島は見ることができなかった。
IMG_5522.JPG
IMG_5524.JPG
生石岬展望台より紀淡海峡・紀伊半島を望む。
IMG_5531.JPG
淡路橋立天橋立そっくり。
IMG_5534.JPG
生石公園
成ヶ島を見下ろす高台に位置している公園、生石公園は、
紅梅と白梅が約260本植えられており、
春には梅の甘い香りが漂う島内有数の梅の名所です。
また由良要塞の遺跡が残る公園としての顔も併せ持っており、
園内には攻撃に来た敵の侵入を食い止めるための「堡塁(ほるい)」や
かつて大砲が置かれていた「砲台跡」、さらに大砲の「砲身」など、
貴重な光景を見ることができます。
紀望台あたりの紅梅・白梅、ナルトサワギクの黄色ががきれいでした。
DSC_7495.JPG
要塞跡・第一砲台跡
IMG_5513.JPG
IMG_5495.JPG
生石鼻灯台
光達距離:12海里  塔高 :10メートル  灯高:118メートル の小さな灯台です。
IMG_5518.JPG
「出石の刀子」ゆかりの生石神社
IMG_5519.JPG
淡路立川水仙郷
立川水仙郷(たちかわすいせんきょう)は、兵庫県洲本市由良町由良にある観光名所で、
水仙の名所として古くから知られる一方で、テレビメディアの影響で併設の施設も有名になった。
南あわじ市の灘黒岩水仙郷と並び淡路島2大水仙郷の1つと銘打っている。
1月から2月にかけて、約500万本の水仙が太平洋に面した南向き斜面一面に咲き誇り、
独特の甘い香りを漂わせる。
灘黒岩がニホンスイセン一種の純粋な自生地なのに対して立川は
栽培による植栽がほとんどの観光農園であり、品種も地中海原産が多くを占める外来種である。
また、灘黒岩が公営であるのに対し立川は私営である。
DSC_7541.JPG
DSC_7531.JPG
DSC_7536.JPG
DSC_7532.JPG
UFO神社
崖の向こうにUFOが飛ぶ!? 不思議な「UFO神社」
「探偵!ナイトスクープ」の取材が話題となったことから記念碑まで建っている。
DSC_7522.JPG
灘黒岩水仙郷
灘黒岩水仙郷(なだくろいわすいせんきょう)は、
兵庫県南あわじ市灘黒岩に位置するスイセンの群生地である。
日本三大群生地の一つ。
日本三大水仙群生地は、越前海岸(福井県)、鋸南町(千葉県)
そして淡路島といわれています。
約7ヘクタールの敷地に約500万本の一重咲きの野生のニホンスイセンが咲きます。
全体的に水仙の見頃はすでに過ぎていました。
IMG_5544.JPG
IMG_5563.JPG
水仙の向こうに沼島が見えます。
沼島
淡路島は、『古事記』では淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)と書かれ、
『日本書紀』では淡路洲と書かれていて、
伊弉諾尊(いざなきのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の産んだものとされる。
この『記紀』によると伊弉諾尊・伊弉冊尊の二神が天上の「天浮橋(あめのうきはし)」に立って、
「天沼矛(あめのぬぼこ)」をもって青海原をかき回し、その矛を引き上げたところ、
矛の先から滴り落ちる潮が凝り固まって一つの島となった。
これがオノゴロ島で、二神はその島に降りて夫婦の契りを結んで国産みを行った。
初めに造られたのが淡路島で、その後次々に島を生んで日本国を造られたとされる。
おのころ島の所在地については諸説ある。
そもそも架空の島であると言う説、淡路島北端の淡路市にある絵島、
南あわじ市榎列(えなみ)の自凝島神社のある丘、あるいは淡路島全体であるという説もある。
しかし沼島には古来おのころ島の伝えがあり、天沼矛に見立てた奇岩
おのころ山に鎮座して二神を祭る「おのころ神社」が存在するため、沼島とする説もある。
IMG_5562.JPG
IMG_5569.JPG
IMG_5572.JPG
薬王寺
高野山真言宗・薬王寺は、寺伝によると、和銅元年(708)
名僧・行基が開基した寺となっています。
本尊は「薬師如来」で、行基作とされています。
正月を中心に「厄除祈祷」の寺として、淡路島内の方はもちろん、
島外の「厄年」の方が参拝されます。
名物は、大鏡餅と台座の三方合わせて総重量約170kgを腹に抱えて運び、
歩く距離を競う薬王寺の新春恒例の行事です。
お正月のニュースで一度は見たことがあるのでは。
IMG_5575.JPG
本日のランチ
由良の新島水産で海鮮天丼とフグのから揚げ重。
DSC_7453.JPG
DSC_7458.JPG
DSC_7461.JPG
DSC_7480.JPG
DSC_7474.JPG
DSC_7491.JPG
本日の夕食
南あわじ市の志知カフェで名物の玉ねぎを使ったオニフラカレー男。
DSC_7592.JPG
DSC_7593.JPG
DSC_7599.JPG
大満足の淡路島でした。


ワカシャチ漫遊記第3章「香川の国宝見物(建物編)」2020年2月

2020年2月11日(火)
香川県の国宝の建物を訪ねました。
国宝①本山寺
本山寺(もとやまじ)は香川県三豊市にある高野山真言宗の寺院で、
山号は、七宝山(しっぽうざん)院号は持宝院。
鎌倉時代再建の本堂は国宝で、本尊は絶対秘仏馬頭観音菩薩。
四国八十八箇所霊場第七十番札所。
四国霊場では竹林寺・志度寺・善通寺とこの本山寺の4ヶ所だけという五重塔が目印。
天暦3年(950)の建立でしたが損傷が激しく明治43年に再建されました。
また、本尊の馬頭観世音菩薩で四国霊場では唯一のもの。
頭上に馬頭をいただく観音様で、
祀られている本堂のそばには馬の像が控えています。
大同2年(807)平城天皇の勅願により、弘法大師が七十番札所として開基。
当時は「長福寺」という名で、本堂は大師が一夜ほどの
短期間にて建立したという伝説が残ります。
およそ2万平方メートルの広大な境内には国宝の本堂はじめ、
仁王門、五重塔、鎮守堂、大師堂、十王堂、赤堂(大日堂)、
慰霊堂、鐘楼、客殿などが並び、大寺として栄華を極めた当時を偲ばせます。
IMG_5437.JPG
IMG_5443.JPG
IMG_5444.JPG
IMG_5445.JPG
IMG_5456.JPG
国宝②神谷神社
神谷神社(かんだにじんじゃ)は、香川県坂出市にある神社です。
坂出市東部、五色台の一峰・白峰山の麓に鎮座する。
「神谷」と呼ばれる谷間に位置し、境内の北方を神谷川が流れる。
国宝の本殿は鎌倉初期に建築された三間社流れ造りで、当初のままに現存し、
建築年代の明らかな社殿としてはわが国最古のものである。
国宝の社殿を持つ神社ではあるが、境内は比較的小さい。
そのほか、重要文化財の木造随身立像などの神宝を現在に伝えている。
IMG_5457.JPG
IMG_5461.JPG
DSC_7364.JPG
IMG_5463.JPG
IMG_5464.JPG
国宝③藤原佐理(ふじわら の すけまさ/さり)詩懐紙
藤原佐理は、「三蹟」と称えられる平安時代の書の名人のひとりです。
詩懐紙(国宝) - 香川県立ミュージアム蔵 - 安和2年(969年)に26歳の佐理が
祖父の藤原実頼の邸宅で行われた詩会に招かれた時に書かれた懐紙である。
「懐紙」とは書道用語では漢詩・和歌などを一定の書式に則って書写したもののこと。
本作品は平安時代の詩懐紙として現存する唯一の貴重な作品。
作風は小野道風の影響が強い。
その流動する筆線は、同じく三蹟に数えられる小野道風の書よりも変化に富み、
藤原行成の書より闊達に筆が動いている。
流麗で躍動感のある筆跡は「佐跡」とも呼ばれます。
佐理の書で最も古い「詩懐紙」には、『和様の書』独特のS字の筆線や、
表情豊かな線質など、それまでの唐様の書とは趣のちがう表現がされています。
また、この佐理の詩懐紙は現存する最古の詩懐紙といわれています。
香川県立ミュージアムを訪れましたが、現在、展示はなく、
ゴールデンウィーク頃に一般公開される予定とのこと。
DSC_7375.JPG
ここからは今日は、行っていません。
国宝④金銅錫杖頭
錫杖とは僧侶や修行者がもつ法具のひとつで、左右についた遊環をゆらして音を出し、
邪をはらい空間を清浄にする働きがあるとされます。
この錫杖は空海が師の恵果阿闍梨(けいかあじゃり)から授かって
持ち帰ったと伝わるもので、最も重要な寺宝のひとつです。
総長55cm、表裏の中央には阿弥陀如来像と脇侍の菩薩立像、
その左右に四天王を配しています。
鑞型による鋳造で、中国・唐代の金工品の中でも傑出したできばえを示す名品です。
※通常は、写真パネルによる紹介です。毎年6月13・14日
原品の特別公開を予定しています。
国宝⑤一字一仏法華経序品
経文と仏像を一行おきに書写する経仏交書経の遺品。
一文字一文字が仏(ほとけ)であることを示しています。
寺伝によれば弘法大師空海が経文を書き、母の玉寄御前が仏さまを描いたとされています。
縦30cmほどの上質の和紙を42枚つなぎ、長さ21mに及ぶ巻子仕立。
一行10文字詰420行で、総字数4187です。経文は端正な和様楷書体、
仏像はおおらかな筆記とあざやかな色彩で描かれています。
※通常は、複製本(コロタイプ印刷)です。
毎年11月3日に原本特別公開を予定しています。
国宝⑥肥前国風土記個人所有。
奈良時代初期に編纂された肥前国(現在の佐賀県・長崎県)の風土記で、
現存する5つの風土記のうちの1つ。
見る機会がわかりません。
これから、一般公開される日を楽しみに待ちます。

ワカシャチ漫遊記第3章「東京出張 朝の散歩」2020年1月

2020年1月20~21日東京本社へ出張。
快晴でテンションMAX。
行の飛行機からは、雲海の後、富士山の雪景色や、伊豆半島、三浦半島が眼下に広がる。
DSC_6543.JPG
DSC_6576.JPG
DSC_6550.JPG
DSC_6586.JPG
初日は会議の後、昔お世話になった方との久しぶりの食事、
昔一緒に仕事人の送別会と、夜遅くまで忙しかった。
2日目、会社に出るまで、朝一から活動開始。
宿泊した浜松町のホテルを6時出発。
東京オリンピック2020の開会式が行われる、新国立競技場へ。
新国立競技場(オリンピックスタジアム)
国立競技場は、東京都新宿区霞ヶ丘町に所在する競技場。
独立行政法人日本スポーツ振興センターが管理・運営する。
2020年東京オリンピック・パラリンピックの主会場であり、
同大会ではオリンピックスタジアムの名称が使用される。
1958年(昭和33年)に開場した国立霞ヶ丘陸上競技場(旧・国立競技場)の老朽化対応と、
東京オリンピック・パラリンピックの主会場とすることを念頭に、
旧・国立競技場の全面改築により建てられた施設で、
新国立競技場の仮称にて2012年より建設事業に着手。
2016年12月に着工し、2019年7月3日に開場後の正式名称が『国立競技場』
となることが日本スポーツ振興センターより発表され、2019年11月に竣工。
2019年12月21日に施設の開場式(オープニングイベント)を開催した。
隈研吾によるデザイン。
DSC_6667.JPG
DSC_6663.JPG
DSC_6659.JPG
オリンピックミュージアムが隣接。当然まだ空いていなかった。
DSC_6668.JPG
テレビドラマでおなじみの嘉納治五郎像もありました。
DSC_6673.JPG
急いでスタジアムを一周した後、東京スカイツリーへ。
東京スカイツリー
東京スカイツリーは、2012年5月22日にグランドオープンした、
地上デジタル放送などの電波を送信する世界一高い自立式電波塔です。
伝統的日本建築などに見られる「そり」や「むくり」をもち、
五重塔の心柱制振システムなど、古来の技と日本の最新技術による制振構造となっている。
高さは634mで、「藍白」をベースとしたかすかに青みがかった白が、繊細な輝きを放つ。
その足元には、大型商業施設「東京ソラマチ」をはじめ、水族館、プラネタリウム、
郵政博物館などがあり、街全体を「東京スカイツリータウン」という。
DSC_6685.JPG
快晴で視界良好。
DSC_6745.JPG
DSC_6693.JPG
DSC_6682.JPG
富士山もよく見えました。
DSC_6729.JPG
ソラカちゃん
DSC_6744.JPG
そら(空)から東京スカイツリーに降り立った、星のカタチのあたまの女の子。
いつも首からさげた望遠鏡をのぞいては、はじめて出会うものにワクワクしているよ!
ちょっと好奇心旺盛すぎて、気持ちが先走ってしまう時もあるけれど、
ステキな発見ができたり、うれしいことがあったりすると、あたまの星がキラキラキラと光るよ。
DSC_6754.JPG
東京2020オリンピックマスコット「ミライトワ」
ミライトワという名前は、「未来」と「永遠(とわ)」という
ふたつの言葉を結びつけて生まれました。
名前に込められたのは、素晴らしい未来を永遠にという願い。
東京2020大会を通じて、世界の人々の心に、希望に満ちた未来をいつまでも輝かせます。
東京2020パラリンピックマスコット「ソメイティ」
ソメイティという名前は、桜を代表する「ソメイヨシノ」と非常に力強い
という意味の「so mighty」から生まれました。
桜の触角を持ち、驚きの強さを見せるソメイティ。
東京2020大会を通じて、桜を愛でる日本の心と
パラリンピックアスリートの素晴らしさを印象づけます。
DSC_6749.JPG
帰りの飛行機からも絶景が見れました。多分日本アルプスだと思います。
DSC_6770 - コピー.JPG
DSC_6774 - コピー.JPG
充実した2日間でした。

ワカシャチ漫遊記第3章「東かがわ市散策」2020年1月

2020年1月13日(月)
東かがわ市を散策しました。
東かがわ市
香川県東かがわ市 は、平成15年4月1日に引田町・白鳥町・大内町の3町が合併して、
東かがわ市が誕生しました。
東かがわ市は、香川県の東の端で徳島県鳴門市と接しています。
地場産業の手袋生産は、伝統産業であり、はまち養殖の発祥地、
そして有名な製薬や和三盆糖などの伝統を今なお受け継ぐ、
伝統と文化、自然環境豊かな市です。
讃州井筒屋敷
讃州井筒屋敷は、江戸時代より醤油と酒造りを行っていた商家をリニューアルした観光施設です。
建物は江戸後期から明治期に建築されたもので、往時の趣をそのままに残しています。
住まいだった「母屋」は、昔の座敷や庭園の見学ができます。
また、蔵を活用したショップでは特産品の買い物や地魚の食事などが楽しめます。
IMG_5264.JPG
IMG_5268.JPG
引田の古い町並み
東かがわ市引田は、江戸時代から”風待ちの港”として栄えてきました。
豪商の邸宅であった讃州井筒屋敷や、かつて郵便局だった建物を利用したレトロなカフェ、
そして国の手袋生産量の90%以上を占める東かがわらしい手袋ギャラリーなど、
ノスタルジックな町並みが残っています。
IMG_5290.JPG
IMG_5281.JPG
ひけた鰤
環境に、エサに、安全に、そして美味しさにこだわる、
だから「ひけた鰤(ブリ)はうまさがちがう!!」のです。
ひけた鰤の規準
1.引田漁業協同組合(販売部)が責任を持って取り扱うもの
2.引田沖養殖漁場の大型小割(25m四方で深さ20m以上)で飼育されたもの
3.引田漁業協同組合が認めた飼料で育てたもの
4.夏季の赤潮危険期に、引田漁業協同組合が定めた制限給餌飼育を行ったもの
5.体重4kg以上のもの
その、ひけた鰤を食べさせてくれる店が、ワーサン亭です。
ハマチ養殖を成功させた、安戸池をみながら鰤料理を食べることができます。
DSC_6372.JPG
DSC_6376.JPG
DSC_6374.JPG
DSC_6368.JPG
DSC_6365.JPG
海蔵院東海寺
源平合戦の時に、阿波に上陸した源義経が大坂越をして
屋島に向かう途中に一時の休息を取ったと伝わる寺です。
境内には、義経が手を洗った手洗堂や馬の足を洗った馬洗池、
鞍を掛け置いた鞍掛松など見どころが多数あります。
若きヒーロー・義経が駆け抜けた跡を感じることができます。
DSC_6385.JPG
DSC_6387.JPG
DSC_6388.JPG
和三盆
主に香川県や徳島県などの四国東部で伝統的に生産されている砂糖の一種。
香川県東かがわ市引田では、讃岐和三盆の三谷製糖、ばいこう堂本店などがある。
和三盆に発音が似た「和三宝(わさんぼう)」という名称が引田で見られるが、
これは、ばいこう堂による商標名である。
ばいこう堂さんで、和三盆の試食と季節のおひな様の和三盆とチョコレート和三盆を購入。
DSC_6391.JPG
DSC_6395.JPG
白鳥神社
鳥神社(しろとりじんじゃ)は、香川県東かがわ市に鎮座する神社で、
能褒野(三重県亀山市)で戦死し葬られたのち、白鳥となって飛び去った
日本武尊の霊が舞い降りた、という伝説が残る。
当地に降りた白鳥は間もなく死んだため、日本武尊の子である武鼓王が
廟を建て手厚く葬ったという。
白鳥神社はこの時に始まるとされている。
寛文4年(1664年)に高松藩初代藩主・松平頼重が朱印地200石を当社へ寄進して再興、
以後は天領となった。明治5年(1872年)に県社に列格される。
IMG_5316.JPG
IMG_5323.JPG
手袋のアウトレット店/日本手袋工業組合/香川手袋資料館
全国シェア90%以上を誇る手袋シェア日本一のまち・東かがわ市にある手袋アウトレット店。
プロスポーツ選手のグローブはほぼ全部、市内の企業を中心に造られています。
日本手袋工業組合に加盟する手袋メーカー30社が、ゴルフ用手袋やファッション用手袋のほか
バッグや財布といった小物を随時持ち込んで販売しています。
ゴルフのグローブを購入しました。
DSC_6406.JPG
金本選手の手袋
DSC_6411.JPG
宮里藍選手・丸山茂樹選手の手袋
DSC_6412.JPG
白鳥温泉
阿讃山脈の山懐の「ツルぬるの湯」の白鳥温泉。
春は桜、秋は紅葉と、鮮やかに染まる静かな山間の自然に囲まれた湯治場。
泉質は単純硫黄冷鉱泉で、糖尿病や神経痛、慢性消化器病、
筋肉痛、冷え性などに効能があります。
地域住民が通う馴染みの温泉です。
DSC_6415.JPG
DSC_6420.JPG
見る、食べる、浸かる三拍子そろった町でした。
少し前に行った、しろとり動物園もあり
見どころの多い、町です。


ワカシャチ漫遊記第3章「令和2年初詣 田村神社・屋島散策」2020年1月

2020年令和2年がが始まりました。
恒例の正月は、実家のある河内町に3泊、広島市内に3泊して
高松に戻りました。
広島では、1月3日に護国神社へ初詣に行きました。
DSC_6169.JPG
DSC_6171.JPG
DSC_6168.JPG
今年の正月は、暖かい正月でした。
2020年1月11日(土)
高松で初詣に行きました。
田村神社
田村神社は、高松市中部、高松市街地から南に約7kmの地に鎮座する神社。
一帯は湧水地であり、現在も当社の奥殿が深淵の上に建てられているように、
水神信仰を基盤とした神社です。
讃岐国内では名神大社三社の1つで、讃岐国の一宮として崇敬された。
また、現在に伝わる神宝は「田村神社古神宝類」として国の重要文化財に指定されている。
DSC_6265.JPG
DSC_6270.JPG
屋島神社
慶安4年(1651)、高松藩祖松平頼重は、香川郡宮脇村石清尾山の麓、本門寿院の境内に、
家康、秀忠、家光を祀る神廟を建て、山王社と称してこれを崇敬した。
第8代頼儀は、文化元年(1804)屋島南嶺の冠獄の麓に、
日光東照宮を手本として社殿造営の工を起こし、御真影を遷座した。
初めの社名は単に御宮と称したが、明治4年(1871)に冠獄神社と改め、
明治7年に屋島神社と改称し、県社に列せられた。
DSC_6289.JPG
DSC_6291.JPG
DSC_6292.JPG
屋島寺
屋島寺は、屋島の南嶺山上(香川県高松市屋島東町)にある真言宗御室派の寺院。
四国八十八箇所霊場の第八十四番札所。
律宗の開祖である鑑真が天平勝宝6年(754年)朝廷に招かれ奈良に向かう途中に
当地を訪れて開創し、そののち弟子で東大寺戒壇院の恵雲がお堂を建立し
屋島寺と称し初代住職になったという。
DSC_6298.JPG
DSC_6306.JPG
DSC_6309.JPG
屋島寺境内の蓑山大明神
太三郎狸は、香川県高松市屋島に伝わる化け狸です。
屋島寺の本尊である千手観音菩薩の御用タヌキとして善行を積んだことから、
現在は「蓑山大明神」の法名で、屋島寺に土地の氏神として祭祀されている。
伝説や民俗学に関する文献類では、「屋島の禿狸(やしまのはげだぬき)」と表記され、
佐渡の団三郎狸、淡路の芝右衛門狸と共に、日本三名狸とされている。
また、スタジオジブリで製作された、映画『平成狸合戦ぽんぽこ』で、
キャラクターである「太三朗禿狸」のモデルとなったことでも知られる。
DSC_6302.JPG
DSC_6338.JPG
獅子の霊巌展望台
高松市街地を始め男木島や女木島など、瀬戸内海の抜群の眺望を満喫できる展望スポット。
展望台の下に、海に向かって吠えているような獅子そっくりの岩があることから、
その名が付けられました。
一見、せんべいのような小さい皿状の土器を投げて開運や厄除けを祈願する
「かわらけ投げ」も、こちらから楽しめます。
DSC_6317.JPG
DSC_6316.JPG
DSC_6311.JPG
霊巌茶屋で甘酒と、ハチミツソフトをいただきました。
DSC_6320.JPG
DSC_6330.JPG
本日のランチ
年明けうどんということで、國安うどんでしっぽくうどんを食べました。
冬季限定のしっぽくうどんです。
うどん20200111國安うどん (6).JPG
うどん20200111國安うどん (11).JPG

ワカシャチ漫遊記第3章「松山道後散策からの広島散策」2019年12月 Vol.2

2019年12月15日(日)
松山から広島に移動し、高松に帰ります。
道後温泉にチェックアウトぎりぎりまで滞在。
午前中は、恒例の朝風呂。
前回は、道後温泉別館 飛鳥乃湯泉(あすかのゆ) へ入ったので、
今回は、道後温泉椿の湯へ行きました。
道後温泉椿の湯
道後温泉 椿の湯は、椿をシンボルとした松山市民の「親しみの湯」、公衆浴場です。
道後温泉 椿の湯は、昭和28年(1953)、「第8回国体」が四国各県で開催されたときに建設されました。
その後、昭和59年(1984)に改築され、平成29年(2017)12月26日に、リニューアルオープンしました。
道後商店街の中央に位置し、蔵屋敷風の落ち着いた雰囲気で、浴室には花崗岩が使われ、
道後温泉特有の湯釜も置かれています。
また、建物全体がL型で、特徴的な外観が目を引きます。
温泉は、道後温泉本館と同じく無加温・無加水の「源泉かけ流し」の湯です。
DSC_5712.JPG
DSC_5718.JPG
道後温泉駅よりバスで松山観光港へ。
ちょうど坊ちゃん列車が戻ってきました。
松山在住時は、汽笛の音をよく聞きました。(懐かしい)
DSC_5744.JPG
DSC_5748.JPG
松山からはスーパージェットで約1時間、広島宇品港まで行けます。
500円プラスして、スーパーシートに乗りました。(2階席)
DSC_5752.JPG
DSC_5758.JPG
DSC_5759.JPG
宇品からは、路面電車で市内へ。
お昼になったので、広島B級グルメ、汁なし担々麺を食べにキング軒へ。
ラーメン20191215キング軒 (11).JPG
ラーメン20191215キング軒 (15).JPG
ラーメン20191215キング軒 (3).JPG
腹も満たし、恒例の平和公園散策。
広島に戻ってきたことを実感できる場所です。
散策するルートはいつも決まっています。
まずは、元安橋側から原爆ドーム正面へ行きます。
IMG_5235.JPG
次に相生橋を渡り、原爆ドーム対岸へ。
次期によっては夾竹桃の花が咲きます。
IMG_5242.JPG
IMG_5247.JPG
原爆の子の像を見て平和記念公園・原爆慰霊碑へ。
今回は資料館へは行きませんでした。
IMG_5251.JPG
IMG_5257.JPG
最後に元安橋を渡り終了です。
IMG_5260.JPG
周辺の状況は昔と比べ、だいぶ変わっていますが、
何度来ても、新鮮な気持ちで平和を祈ります。
これからもずっと訪れたい場所です。

12月おまけ
高松で12月8日(日)全国年明けうどん大会へ行きました。
全国のご当地うどん、しかも年明けということで
紅白がテーマのうどんを食べることができます。
2人で2食ずつ合計4杯のうどんをシェアして食べました。
イベントは、香川県出身の芸人とうどん大使を務める要潤さんの大喜利で楽しめました。
DSC_5319.JPG
DSC_5322.JPG
DSC_5342.JPG
IMG_5117.JPG
IMG_5132.JPG
うどん20191208年明けうどん (21).JPG
うどん20191208年明けうどん (33).JPG
うどん20191208年明けうどん (29).JPG
香川県は、うどんに始まり、うどんで終わります。
2019年おわり
2020年へ続く






ワカシャチ漫遊記第3章「松山道後散策からの広島散策」2019年12月 Vol.1

2019年12月14日(土)
松山で忘年会があり、観光もかねて高松よりバスで行ってきた。
1年半の松山生活で、行けなかった観光地を訪ずれる。
ゆめタウン高松前から乗車。
DSC_5527.JPG
DSC_5533.JPG
松山市駅で下車。
IMG_5152.JPG
坊ちゃん列車ミュージアム
坊ちゃん列車ミュージアムは、愛媛県松山市の伊予鉄道グループ本社ビル1階にあります。
明治20年の創立以来積み重ねてきた鉄道の歴史の変遷を見ることができます。
館内には、坊ちゃん列車1号機関車の原寸大レプリカの展示があり、
松山市内を走り抜けた面影を今に伝えます。
また、鉄道ファン垂涎のレアな車輌部品・資料等も間近で見ることができます。
場所は松山市駅前 入場無料!
IMG_5143.JPG
IMG_5145.JPG
IMG_5144.JPG
お昼になったので、B級グルメの鍋焼きうどんを食べにアサヒへ。
ラッキーなことに待ち時間なしで食べることができた。
うどん20191214アサヒ (17).JPG
うどん20191214アサヒ (10).JPG
路面電車で本日宿泊する道後へ。
電車から松山城が見える場所を通過し、大街道を通り道後へ。
DSC_5580.JPG
DSC_5585.JPG
IMG_5155.JPG
伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)
伊佐爾波神社の創建について詳細は不明ですが、神功皇后・仲哀天皇御来湯の際の
行宮跡に建てられたといわれ、すでに延喜年間につくられた延喜式に載っている古社で
1000年以上前から信仰を集めていたことが窺えます。
一時期は湯月八幡宮とも、さらには道後八幡とも呼ばれました。
京都の石清水八幡宮を模したと言われ、大分の宇佐神宮と並び
全国に三例しかない整った八幡造りの社殿で、昭和31年6月本殿が
国の重要文化財に指定、昭和42年6月全体が追加指定を受けました。
IMG_5167.JPG
IMG_5170.JPG
宝厳寺(ほうごんじ)
宝厳寺は、愛媛県松山市道後湯月町にある時宗の寺院。山号は豊国山。院号は遍照院。
境内は「一遍上人の誕生地」として愛媛県指定史跡となっている。
一遍(いっぺん、延応元年(1239年) - 正応2年(1289年))は鎌倉時代中期の僧侶。時宗の開祖。
IMG_5177.JPG
IMG_5178.JPG
IMG_5185.JPG
圓満寺(えんまんじ)
812(弘仁3)年に建立されたと伝わるお寺で、奥が本堂、手前右手に仏堂があり、
この仏堂に「湯の大地蔵尊」と呼ばれるお地蔵様が鎮座しています。
大きさは3.67mもあり、とにかく強烈なインパクトの「湯の大地蔵尊」。
巨大な上に白塗りで、真っ赤な唇。衣も赤と青という鮮やかさです。
このひと目見たら忘れられないお地蔵様は、奈良時代の僧・行基(ぎょうき)が
道後温泉を訪れた際、クスノキの大木に彫ったと言われています。
道後温泉とも縁が深く、1855(安政2)年に道後温泉のお湯が止まってしまった時、
このお地蔵様に祈願すると再びお湯が湧き出たのだそう。
そのことから「湯の大地蔵」と呼ばれるようになったそうです。
DSC_5608.JPG
DSC_5605.JPG
DSC_5614.JPG
DSC_5610.JPG
最近は、恋愛のパワースポットとしても有名。
湯神社
湯神社は、愛媛県松山市道後の冠山にある神社。式内社で、旧社格は県社。神紋は「亀甲に花菱」。
相殿に式内社の出雲崗神社(いずものおかじんじゃ)を祀る。
別称として、「湯月大明神」・4柱の神を祀るため「四社大明神」
伊佐爾波神社の西にあるため「西宮」とも呼ばれる。
IMG_5203.JPG
中嶋神社
湯神社の境内社「中嶋神社四国分社」は、お菓子の神様です。
1957年に四国四県の製菓業者によって、兵庫県豊岡市にある製菓・柑橘の祖神である
中嶋神社の御分神「田道間守命」(たじまもりのみこと)を迎えて、
四国分社として創建されました。
IMG_5204.JPG
このエリアから現在改装中の、道後温泉本館全体を見ることができます。
IMG_5211.JPG
IMG_5212.JPG
正面からと横の景色。
IMG_5219.JPG
IMG_5217.JPG
道後温泉本館を見下ろす一六茶寮で休憩。
名物の一六タルトの天ぷらを食べる。
スイーツ20191214一六茶寮 (1).JPG
DSC_5642.JPG
IMG_5223.JPG
本日の宿泊は、道後温泉の湯を引くルナパーク別館やすらぎへ。
途中に秋山好古の墓を見て歩いてチェックイン。
IMG_5229.JPG
IMG_5230.JPG
IMG_5231.JPG
夜は、私の所属するソフトボールチーム「SHADOWS」の忘年会。
居酒屋20191214助格 (1).JPG
そのあと会社の同僚と忘年会。
肉20191214串カツしでん (1).JPG
肉20191214串カツしでん (4).JPG
松山は、温泉よし、食事よし。いつも大満足。

ワカシャチ漫遊記第3章「寒霞渓(小豆島)紅葉狩り」2019年11月

2019年11月23日(土)
今週も、先週に引き続き快晴の週末でした。
香川県紅葉スポット人気No.1の寒霞渓に行きました。
寒霞渓
寒霞渓(かんかけい)は、香川県の小豆島にある渓谷で、国指定の名勝。
星ヶ城と美しの原高原の間、範囲は東西7キロメートル、
南北4キロメートルに及ぶ大渓谷で、そこに約1300万年前の火山活動により
堆積した疑灰角礫岩などが、度重なる地殻変動と風雨による侵食により、
断崖や奇岩群を形成している。
日本書紀にも記述がある奇勝で、元々は鉤掛山(かぎかけやま)、
神懸山(かんかけやま)などと呼ばれていたが、明治初期の儒学者、藤沢南岳が寒霞渓と命名した。
大渓谷と海を一望できる景勝地は全国でも珍しい。
日本三大渓谷美、日本三大奇勝や日本百景、「21世紀に残したい日本の自然100選」
等に選ばれている。
9:30 高松港⇒草壁港行きフェリー。
   草壁港から、寒霞渓の紅雲亭行のバスが出ている。
   今日は、土曜日の祝日で、寒霞渓の紅葉が、ちょうど見ごろを迎えており、
   大勢の人がフェリーに乗り込んできた。
   少し早めにチケットを購入し、フェリーに乗ることができ、
   なんとか座席をキープできた。
DSC_4715.JPG
10:35 草壁港到着
DSC_4768.JPG
DSC_4770.JPG
草壁港から、オリーブバスで約15分。
フェリーから素早く脱出し、バス停へ。
あっという間に長蛇の列。
ここでもラッキーなことに、最初のバスで座席をキープできる。
※今日はバスも臨時便が出て、職員の方もあわただしく対応されていた。
次は、紅雲亭(ロープウエイこううん駅)からロープウエイに乗り込むために
チケットを購入するが、購入している間に乗り場へは長蛇の列になってしまう。
一旦、乗り場の列に並び、順番をキープしておいて、チケットを購入することが
できなかった。(初めてで勝手がわからず)
ここで、約1時間のロスタイムでした。
DSC_4716.JPG
こううん駅(紅雲亭)⇒山頂駅まで40人乗りゴンドラで約5分。
12:00  標高612mのロープウエイ山頂駅に到着。
    山頂より、散策開始。
IMG_4929.JPG
第一展望台
美しい瀬戸内海が一望できます。
IMG_4944.JPG
IMG_4931.JPG
IMG_4932.JPG
IMG_4939.JPG
第二展望台
寒霞渓ならではの奇石群を一望できます。
ここでは、名物のかわら投げも行われています。
IMG_4912.JPG
IMG_4913.JPG
IMG_4927.JPG
IMG_4922.JPG
鷹取展望台
鷹取展望台は、応神天皇が鷹狩りをしたといわれる場所で、
昔は寒霞渓の山頂として賑わった場所で、映画「八日目の蝉」のロケ地にもなった場所。
IMG_4949.JPG
IMG_4963.JPG
表神懸(かんかけ)十二景遊歩道で下山しました。
距離は2kmのゆるやかなコース、歩道も舗装されているところもあり歩きやすい。
IMG_4928.JPG
img-map.gif
紅葉の木漏れ日の中を通り四望頂へ。
DSC_4739.JPG
四望頂(しぼうちょう)
IMG_4978.JPG
IMG_4979.JPG
IMG_4992.JPG
途中の遊歩道は舗装されていて歩きやすかった。
IMG_5019.JPG
烏帽子岩
IMG_4997.JPG
IMG_5000.JPG
荷葉岳(かようがく)
IMG_5013.JPG
IMG_5017.JPG
錦屏風
IMG_5065.JPG
IMG_5066.JPG
IMG_5074.JPG
紅雲亭
IMG_5081.JPG
2:15 下山し、バスで再び草壁港へ。
   帰りのバスは、少なかった。
2:55 バスを乗り換え土庄港へ。
   このバスは映画村からオリーブ公園、エンジェルロードを通るバスで、
   激込みでしたが、何とか座席をキープし港まで行けました。
IMG_5077.JPG
IMG_5083.JPG
16:00 土庄港到着
IMG_5087.JPG
IMG_5095.JPG
16:30 帰路は高速艇で高松港へ、乗船時間は35分とフェリーに比べ30分も早い。
DSC_4783.JPG
17:05 高松港到着
DSC_4793.JPG
今年の紅葉狩りも終盤へ。
残すは、栗林公園の夜間ライトアップ。
平日のすいた時間で訪れたい。


ワカシャチ漫遊記第3章「岡山県津山市散策」2019年11月

2019年11月16日(土)
紅葉を求めて、岡山県津山市に行ってきました。
今回の主な目的は、3点です。
①津山城の紅葉。
②津山市内散策。
③津山ホルモンうどんを食べる。
④湯郷温泉へ浸かる。
朝はゆっくり10時出発。
高松からは高速で約2時間でした。
まず最初に訪れた場所は中山神社。
中山神社
中山神社は、美作国の一宮です。
一宮はある地域の中で最も社格が高いとされる神社の事を指し、
多くの場合はかつての令制国の中での一宮を指します。
社格の高く、特に地域に根ざした守護神として信仰の篤い神社が選ばれます。
中山神社は707年創建とされ、713年に美作国が備前国から別れて成立した際に、
美作国の一宮に指定されました。
元々の社殿は尼子氏が侵略した際に焼失しており、現在の建物は尼子氏自身が再建したもので、
中山造と呼ばれる非常に独特な構造をしています。
鳥居も中山鳥居と呼ばれる独特の形をしています。
パッと見て特徴的なのは貫(鳥居の上から二番目の横棒)の部分が柱から突き出ない事です。
額束(神社の名前の額をつける部分)がある明神鳥居の形式でありながら、
この部分がはみ出していないのは全国的にも珍しいのだそうです。
IMG_4792.JPG
IMG_4797.JPG
IMG_4796.JPG
津山ホルモンうどん
新鮮なミックスホルモンをたっぷり使った津山のご当地B級グルメ。
津山地域は古くから牛馬の流通拠点だったのでホルモンが簡単に手に入り、
味噌や醤油ベースのタレを絡めてうどんと一緒に一気に焼き上げます。
津山市内には50店舗以上のお店があり、具材や味付け、焼き方などはさまざま。
ガイドブックを見て橋野食堂さんへ行きました。
お店前には、13時近くになるにもかかわらず、長蛇の列。
駐車場がない?と迷っていると、整理のおじさんが良い場所を教えてくれて、無事駐車。
列に並ぶこと約1時間。(まだ列は少ない方らしい)
その間、おじさんにいろいろアドバイスをいただく。
橋野食堂さんのホルモンは、隣にお肉屋さんがあって上等で新鮮なホルモン。
うどんの追加が届けられたが、夜まであるかどうかわからないので食べに行くのは早めが良い。
ホルモンうどん以外はブタ焼きを注文すべし。
駐車場は整理のおじさんに聞く。
DSC_4541_LI.jpg
DSC_4551.JPG
DSC_4559.JPG
DSC_4565.JPG
津山城(鶴山(かくざん)公園)
津山城は、本能寺の変で討死した森蘭丸の弟森忠政が、
鶴山(つるやま)に築いた平山城です。
明治の廃城令で、建造物は取り壊されましたが、
地上から45mに及ぶ立派な石垣が当時の面影を残しています。
IMG_4804.JPG
IMG_4807.JPG
IMG_4855.JPG
天守の南東側の備中櫓(びっちゅうやぐら)が、築城400年の記念事業として復元され、
平成17年春から一般公開されています。
IMG_4836.JPG
城跡は『さくら名所百選』にも選ばれた西日本有数の桜の名所となっていて、
桜の季節には毎年多くの人が訪れ、津山のシンボル的な場所になっています。
平成18年(財)日本城郭協会から「日本100名城」に認定されました。
城内は紅葉祭りが開催されていて、紅葉も見ごろになっていました。
IMG_4812.JPG
IMG_4832.JPG
DSC_4576.JPG
DSC_4585.JPG
DSC_4592.JPG
津山まなびの鉄道館(旧津山扇形機関車庫)
旧津山扇形機関車庫は、昭和11年(1936)に建設されました。
奥行22.1mで17線あり、現存するものでは京都の梅小路に次ぐ国内2番目の大きさです。
全国で現存している扇形機関車庫は数少なく、県内では津山にあるだけです。
国内で1台のみ製造された国産最大最強のエンジンを積んだ
ディーゼル機関車「DE50-1」が保存されています。
転車台は、岡山県で唯一の現役転車台です。(全国的にも貴重)
IMG_4856.JPG
IMG_4859.JPG
他では見られない、貴重な車両がズラリ並びます。
DSC_4604.JPG
DSC_4600.JPG
まちなみルーム
旧津山扇形機関車庫など津山のまちなみをジオラマで再現しました。
Nゲージ模型も走ります。
DSC_4606.JPG
DSC_4608.JPG
湯郷温泉
湯郷温泉は中国地方きってのいで湯の里「岡山県美作三湯」のひとつ。
歴史は古く、いまから1200年ほど昔の平安時代、
慈覚大円仁法師が白鷺に導かれ発見したと伝えられ、
別名「鷺の湯」と呼ばれる全国に知られた名湯です。
温泉はナトリウム、カルシウム塩化物泉で、
効能は消化器病、神経痛、リュウマチ、貧血症、婦人病、皮膚病などに効果があります。
また、美肌づくりの湯としても女性に人気の温泉です。
湯郷鷺温泉館
鷺温泉館は、1999年4月に新装オープンの、
日帰りのお客様、旅館、ホテルのお客様が利用する日帰り入浴施設で、
1階には、動の湯(ドライサウナ付)と静の湯(ミストサウナ付)の2つの大浴場、
2階には、5つの家族湯があり、家族湯は、露天風呂付、身障者用、ジャグジーがあります。
その他 30人が休憩出来る大広間を備えています。
動の湯、静の湯は毎週日曜日朝に男女浴槽入れ替えです。
DSC_4614.JPG
DSC_4618.JPG
DSC_4617.JPG
しっかり、あったまり、疲れをいやし帰路へ。
途中、倉敷で夕食を撮って帰りました。

ワカシャチ漫遊記第3章「高野山お礼参り・満喫高野山」2019年11月 VOL.4

2019年11月10日(日)
午後からは蛇腹道・大伽藍エリア・女人堂エリア・金剛三昧院を散策します。
danjyougaran_daiedo[1].jpg
蛇腹道
弘法大師は高野山を「東西に龍の臥せるがごとく」と形容された。
壇上伽藍を頭、現在の蓮花院までを龍が臥しているとたとえたので、
ちょうどこの小道が龍のお腹付近にあたり、こう呼ばれるようになった。
IMG_4669.JPG
東塔
大治2年(1127)、白河上皇の御願によって醍醐三宝院勝覚権僧正によって創建された。
もともと蛇腹道から入ってすぐの東の端に建っていましたが、天保14年(1843)に焼失。
昭和59年(1984)、現在の場所に140年ぶりに再建された。
IMG_4675.JPG
三昧堂
金剛峯寺第6代目の座主、済高が延長7年(929)に建立したお堂。
のちに西行法師が壇上に移され、修造に関わり、このお堂で行法をしていた。
IMG_4679.JPG
大会堂
鳥羽法皇の皇女、五辻斎院発願により、鳥羽法皇の菩提を弔うために建立された。
もともとは東別所にあったものを、西行法師が伽藍に移築。
IMG_4680.JPG
愛染堂
建武元年(1334)、後醍醐天皇の命により、天下泰平を願う「四海静平」、
天皇のご健勝を願う「玉体安穏」を祈るために建立された。
現在の建物は嘉永元年(1848)の再建です。
IMG_4683.JPG
不動堂
建久8年(1197)、鳥羽法皇の皇女である八條女院発願により、行勝上人が建立した一心院が前身。
もともと一心院谷にあったものを、明治41年に伽藍へ移築。
平安貴族の邸宅風の外観はとても美しく、明治32年に国宝に指定される。
IMG_4681.JPG
根本大塔
お大師さま、真然大徳(しんぜんだいとく)と二代を費やして
816年から887年ごろに完成したと伝えられます。
お大師さまは、この大塔を法界体性塔とも呼ばれ、
真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立されたので古来、
根本大塔(こんぽんだいとう)と呼んでいます。
高さは48.5m、多宝塔様式としては日本最初のものといわれています。
現在の大塔は昭和12年(1937)完成のコンクリート製です。
IMG_4692.JPG
大塔の鐘
弘法大師が鋳造を発願され、真然僧正の時代に完成。
現在の銅鐘は天文16年(1547)に完成した直径2.12mの鐘です。
当時の日本で4番目に大きい鐘であることから、別名、高野四郎とも呼ばれています。
IMG_4690.JPG
金堂
高野山開創当時に建てられたもので、当時は講堂と呼ばれていました。
高野山一山の総本堂であり、重要な行事のほとんどは、この金堂で執り行われた。
現在の建物は、昭和7年(1932)に完成。
IMG_4695.JPG
御影堂と三鈷の松
当初御影堂は、弘法大師の持仏堂として創建された。
後に、大師の御影を祀り、今の名前となりました。
三鈷の松は、弘法大師が唐より帰国される際、真言密教を広めるにふさわしい場所を求め、
明州の浜より、日本に向けて三鈷杵(さんこしょう)と呼ばれる法具を投げました。
その三鈷杵が高野山の木にひっかかっているのを見つけ、この地こそ真言密教を
広めるのにふさわしいと決心し、真言密教の修業道場と定めたと言われている。
IMG_4700.JPG
西塔
根本大塔と、2基1対となるような重要な、擬宝珠高欄付き多宝塔。
仁和2年(886)、光孝天皇の勅命で真然大徳が建立。
五間四面、高さ27.27m、現在の建物は天保5年(1834)に建立された。
IMG_4706.JPG
六角経蔵
平治元年(1159)、鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、
鳥羽法皇の菩提を弔うために建立された経蔵です。
経蔵の基壇のあたりに把手がついていて、この部分は回転するようにできており、
一回りすれば一切経を一通り読んだときと同じ徳をえることができるといわれています。
しっかり一回りしておきました。
IMG_4714.JPG
ここから女人堂までは徒歩で。
途中、蓮華定院へ寄りました。
蓮華定院
蓮華定院は高野山の山内の中でも「五の室」と呼ばれる地区にあり、特に標高の高い所にあります。
蓮華定院の歴史は今から800年ほど前行勝上人という方が開基したことに始まります。
それから200年ほど時代を下った室町時代には長野県佐久地方の豪族と宿坊の契約を結びます。
その関係から戦国時代には真田家との縁ができ真田幸村(信繁)が隠居(軟禁)するに至りました。
蓮華定院は信繁の戦死後も高野山にある真田家の菩提寺として保護されてきました。
IMG_4732.JPG
手入れの行き届いた庭。
IMG_4734.JPG
院の裏には、真田家の供養塔があります。
IMG_4735.JPG
IMG_4737.JPG
女人堂
高野山は八葉の峰と呼ばれる1000m前後の山々に囲まれた山上の平坦地で、
明治5年に女人禁制が解かれるまで、厳しく女性の入山を規制してきました。
高野山への参道としては俗に「高野七口」と呼ばれる街道が通じており、
かつては各入口に女性のための籠り堂として女人堂が建てられ、
女人信者は御廟を拝みたいと、女人堂から女人堂へ八葉蓮華の峰々を辿ったといわれ、
この道を「女人道」と呼んでいます。
IMG_4750.JPG
IMG_4741.JPG
ここからはバスで、中心部まで戻り、金剛三昧院へ。
金剛三昧院
金剛三昧院は、尼将軍 北条政子が、夫・源頼朝と
息子・実朝の菩提を弔うために建立しました。
高野山のメインストリート「小田原通り」から、ひと筋奥まった、
静かな環境にある宿坊寺院です。
国宝・多宝塔をはじめ、重要文化財の経蔵、四所明神社など、
数々の歴史的文化財を擁しており、高野山の世界遺産登録にあたっては、
根幹となる寺院として重要な役割を果たしました。
高野山の中でも、いにしえの面影を色濃く残した名刹であり、
鎌倉時代の風雅をそのままに伝える格別な雰囲気をたたえています。
IMG_4780.JPG
IMG_4763.JPG
IMG_4774.JPG
金剛三昧院が今回の高野山散策で最後のお寺となりました。
奥の院の駐車場までバスで戻り、和歌山市内へ。
夕食に、定番の和歌山ラーメンを食べてフェリーで徳島へもどり帰路に。
丸宮中華そば
ラーメン20191110丸宮中華そば (4).JPG
ラーメン20191110丸宮中華そば (6).JPG
今日の歩数は25,811歩、初日を上回る歩数。
さすがに足がくたくたになりました。
高野山お礼参りの旅 END


ワカシャチ漫遊記第3章「高野山お礼参り・満喫高野山」2019年11月 VOL.3

2019年11月10日(日)
高野山一日散策です。
2日間とも晴天に恵まれラッキーでした。
今日が本当のお礼参りの日となります。
朝一で奥の院に向かいました。
IMG_4533.JPG
IMG_4537.JPG
DSC_4382.JPG
みろく石
御廟橋を渡り、少し歩くと、左側に祠があり、石が納められています。
心願成就の石として伝わり、触れるとご利益があるとされていました。
今では、罪の軽い人は軽く、重たい人は重く感じるといわれ、
祠の格子から手を入れて持ち上げられるようになっています。
片手では絶対に持ち上げれない、かなり重い。
燈籠堂
高野山第二世真然大徳(しんぜんだいとく)によって建立され、
治安3年(1023年)に藤原道長によって、ほぼ現在に近い
大きさになったと伝えられています。
堂内には消えずの火として祈親(きしん)上人が献じた祈親燈(きしんとう)、
白河上皇が献じた白河燈、祈親上人のすすめで貧しいお照が
大切な黒髪を切って献じた貧女の一燈(いっとう)、
昭和の時代にある宮様と首相の手によって献じられた昭和燈が燃え続け、
その他たくさんの方々の願いが込められた燈籠が奉納されています。
弘法大師御廟
大師信仰の中心聖地であり、現在でも肉身をこの世にとどめ、
深い禅定に入られており、わたしたちへ救いの手を差し伸べていらっしゃるという
入定信仰を持つお大師さまの御廟所です。
遍路満願の報告をしました。
奥之院参道
一の橋から弘法大師御廟までの約2kmの参道。
参道の両側には、樹齢数百年の杉の大樹とともに
歴史に名を残す諸大名などの20万基をこえる
墓碑や供養塔が立ち並んでいる。
一の橋
IMG_4611.JPG
DSC_4393.JPG
明智光秀供養塔
来年の大河ドラマの主人公の明智光秀。
昨夜のナイトツアーで教えてもらったエピソードですが、
供養塔の丸いところが割れています。
この供養塔は3基目ですが、いずれも丸いところが割れたそうです。
これは本能寺で殺された、織田信長の怨念とか・・・
ちなみにこの供養塔を管理しているのは案内していただい住職の
所属している、恵光院ですと聞いてまた爆笑でした。
IMG_4584.JPG
IMG_4585.JPG
汗かき地蔵
奥の院の中間地点、中の橋を渡るとすぐの地蔵堂の中には
汗かき地蔵をお祀りしています。
この汗かき地蔵は世の中の人々の苦しみを身代わりになり、
一身に受けているので、いつも汗をかいていると伝えられています。IMG_4578.JPG
姿見の井戸
高野七不思議のひとつ、汗かき地蔵をお祀りしているお堂の右側にある
小さな井戸は「姿見の井戸」と呼ばれ、この井戸を覗きこんで
自分の顔が映らなければ三年以内に死んでしまうと言われているのだとか。
恐る恐る覗き込みましたが、無事姿を見ることができました。
昔の人はこの水で目を洗えばどんな眼病も治ったと言われています。
IMG_4581.JPG
腰かけ石
昔、弘法大師が休憩のため腰を掛けた石であるという言い伝えが残る。
IMG_4595.JPG
みろく石本舗かさ國
少し歩いて疲れたので休憩。
創業150年の歴史を持つ高野山かさ國では、「銘菓みろく石」をはじめ、
創業以来高野山総本山金剛峯寺の御用達の老舗和菓子を製造販売致しており、
できたてのやき餅と、くるみ餅でお茶しました。
IMG_4632.JPG
和菓子20191110みろく石本舗かさ國 (3).JPG
金剛峯寺
金剛峯寺は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗総本山の寺院。
高野山は、和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する。
100か寺以上の寺院が密集する、日本では他に例を見ない宗教都市です。
京都の東寺と共に、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が修禅の道場として開創し、
真言密教の聖地、また、弘法大師入定信仰の山として、21世紀の今日も多くの参詣者を集めている。
2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部。 IMG_4637.JPG
蟠龍庭
石庭としてはわが国最大の庭(2,340㎡)で雲海の中で
雄雌一対の龍が、奥殿を守っているように表現されている。
IMG_4664.JPG
IMG_4662.JPG
IMG_4647.JPG
新別殿
昭和59年(1984年)弘法大師入定1,150年のご遠忌大法会の年に
記念行事の一環として新設された。
徳島から来られた住職の講話を拝聴しました。
IMG_4657.JPG
DSC_4411.JPG
昼ごはん抜きで散策は続く。
VOL.4へ続く。



ワカシャチ漫遊記第3章「高野山お礼参り・満喫高野山」2019年11月 VOL.2

2019年11月9日(土)
九度山の散策後、高野山へ。
16:30高野山到着。
16時を過ぎると、駐車場も比較的スムーズに止められた。
金剛峯寺前の駐車場へ入れて夕方の高野山を散策。
※高野山の駐車場はすべて無料です。
紅葉は、お寺ごとに見ごろを迎えていた。
高野山紅葉狩り・ライトアップ
金剛峯寺前➡蛇腹道➡壇上伽藍➡霊宝館付近の黄金ルートを散策。
夕食までの間、2周しました。
金剛峯寺エリアの紅葉
IMG_4417.JPG
IMG_4428.JPG
IMG_4471.JPG
IMG_4470.JPG
蛇腹道
IMG_4432.JPG
壇上伽藍
IMG_4436.JPG
IMG_4438.JPG
IMG_4475.JPG
霊宝館付近
IMG_4460.JPG
IMG_4459.JPG
根本中堂
IMG_4447 - コピー.JPG
IMG_4479.JPG
金堂
IMG_4454 - コピー.JPG
中門
IMG_4457.JPG
IMG_4493.JPG
IMG_4490.JPG
IMG_4491.JPG
IMG_4488.JPG
IMG_4489.JPG
本日の夕食
高野山料理 花菱本店
三鈷膳
昆布だしをベースに干ぴょう・椎茸・煎り米から精進だしがとってあります。
ごま豆腐は最高級の吉野葛を使って、手練りで仕上げてある。
和食20191109花菱 (6).JPG
鱧ご膳
和食20191109花菱 (12).JPG
奥の院ナイトツアー
夜7時に恵光院へ集合し7時15分出発。
IMG_4495.JPG
一の橋➡中の橋➡御廟橋➡奥の院へ約1時間のツアーです。
ガイド役は、高野山在住の”恵光院の現役住職”です。
日中とはまた違った幻想的な奥之院を見ることができます。
所々で、お大師様の話・真言密教の話・墓碑の説明
奥の院の不思議な伝説・お坊さんの生活・高野山の歴史
など説明があります。
運が良ければムササビ、フクロウ、コウモリ、ホタルなども見ることが出来ます。
※ムササビの鳴き声は聞くことができました。
IMG_4510.JPG
御廟橋から先は撮影禁止
IMG_4516.JPG
燈籠堂から弘法大師御廟へまわり、般若心経を唱え終了します。
帰路は奥の院バス停より、バスで駐車場近くまで乗って帰ります。
IMG_4521.JPG
帰り際に、大門に寄りました。
IMG_4530.JPG
21時、長い一日が終了。 歩数23,225歩。
橋本市のホテルまで行き、宿泊。
明日も一日、高野山。
VOL.3へ続く

ワカシャチ漫遊記第3章「高野山お礼参り・満喫高野山」2019年11月 VOL.1

2019年11月9日10日
高野山へお礼参りに行ってきました。
高野山お礼参り
四国八十八ヵ所はすべて巡礼が終わり結願すると
高野山へお礼参りに行く習わしがあります。
四国遍路は弘法大師の足跡を辿る旅でもあり、無事に八十八ヵ所を巡り終えた
同行二人のご報告と感謝の気持ちをお大師様にお伝えするのです。
高野山では今でも弘法大師が生きて瞑想を続けられているとされる、
奥之院にある弘法大師御廟をお参りすることになります。
IMG_20191111_082028.jpg
また、高野山の紅葉もきれいだと聞いていましたので
あわせて散策もしました。
高野山へは、過去名古屋から
2011年12月日帰りバスツアー
2013年10月高野山と熊野古道
訪れていまして、今回は3度目となります。

2019年11月9日(土)
徳島港8:00発(10:10着)のフェリーで和歌山へ渡りました。
500円/人プラスしてグリー座席へ。
静かに快適な2時間の船旅でした。
DSC_4227.JPG
DSC_4233.JPG
DSC_4230.JPG
初日の行程は大まかに3部構成
①夕方まで九度山散策
②夕方から高野山紅葉狩り
③夜は奥の院ナイトツアー参加
<九度山散策>
丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)
紀ノ川より紀伊山地に入り標高450メートルの天野盆地、
この地に丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)が創建されたのは、
今から1700年前と伝えられます。
丹生都比売大神は、天照大御神の御妹神さまで、神代に紀ノ川流域の
三谷に降臨、紀州・大和を巡られ農耕を広め天野の地に鎮座されました。
丹生都比売大神を祀る神社は全国に108社 摂末社を加えると180社余を数えます。
丹生都比売神社は、その総本山です。
IMG_4297.JPG
IMG_4301.JPG
本日のランチ
幸村庵
古民家を改装した風情ある店内で、本場信州の「蕎麦」が味わえます。
麺は「二八そば」でつるつるとのど越しがよく、ざるそばのツユは、本格的な濃い口。
かけそばのツユは、関西風の薄味です。
郷土料理の柿の葉すしもセットで付いてきました。
そば20191109幸村庵 (1).JPG
そば20191109幸村庵 (7).JPG
そば20191109幸村庵 (14).JPG
少し待ち時間があったので、真田庵と真田古墳の見学を済ませました。
善名称院(真田庵)
善名称院(ぜんみょうしょういん)は、和歌山県九度山町にある高野山真言宗の寺院です。
真田昌幸・信繁の蟄居時代の草庵跡と伝わる場所です。(諸説ある)
和歌山県の史跡に指定されており、別称は真田庵(さなだあん)。
境内には、真田昌幸公の墓所もあります。
IMG_4333.JPG
IMG_4318.JPG
<IMG_4321.JPG
真田古墳(真田抜け穴伝説)
真田庵から東へ170mほどの所にあり、「この穴の向こうは大坂城に続いていて、
かつて真田幸村はこの抜け穴を使って戦場へ出向いた。」という伝説が残っています。
実際は、古墳時代後期(6世紀頃)の古墳でしたが、
真田の伝説が残る場所として、真田古墳と名付けられました。
IMG_4328.JPG
九度山・真田ミュージアム
NHK大河ドラマ真田丸の真田昌幸・幸村・大助の真田三代の軌跡と
14年間という幸村の生涯で一番長い時間を過ごした九度山での生活を
パネル展示とドラマ仕立ての映像により紹介しています。
館内には、九度山時代の生活の様子が再現されている部屋があり、楽しいしかけも用意されています。
IMG_4339.JPG
IMG_4347.JPG
仏師能光尊
仏師であった能光尊は、備前(岡山県)の美作郡に生まれ、鳥羽院の時の人で、
後に九度山町入郷に居住し、永治元年(1141年)高野山中門の多聞、持国の二天王を彫刻し、
その他幾多の仏像を彫刻された偉大な仏師であった。
また、鳥羽院の御前において笛をつくり献上されたことも伝えられています。
昔から、首から上を病む人にご利益があると言い伝えられています。
IMG_4350.JPG
慈尊院(女人高野・結縁寺)
平成16年7月世界遺産に登録された慈尊院は、
弘仁7年(816年)弘法大師(空海)が、高野山開創に際し、
高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、
一の庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました。
IMG_4356.JPG
IMG_4388.JPG
IMG_4387.JPG
丹生官省符神社
“高野御子が狩人の姿で現れ、従えていた白・黒2頭の犬を放って、
弘法大師を高野山へと導いた”という伝説があり、弘法大師が慈尊院を創建する際に
鎮守として高野御子とその母である丹生都比売(にうつひめ)を
祀ったのが丹生官省符神社の始まりだと伝えられています。
社殿三棟は木造一間社春日造、桧皮葺、極彩色北面で重要文化財に指定されています。
平成16年年7月、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録された。
IMG_4360.JPG
IMG_4367.JPG
左屋根の下、灯篭の上の間から高野山を見ることができます。
IMG_4373.JPG
高野山町石道(世界遺産
高野山町石道は、弘法大師・空海が高野山を開創した際、
木製の卒塔婆を建てて道標とした表参道です。
弘法大師はこの道を通り、月に9度は山をおりて麓の慈尊院に滞在していた
母のもとに通われたといわれ、現在の地名「九度山」の由来となりました。
やがて、大師信仰の広まりとともに多くの人々が参拝に訪れるようになり、
高野山へ通じる7つの道が開かれ、「高野七口」と呼ばれました。
中でも高野山町石道は主要参詣道として利用され、町石は単なる道標ではなく、
参拝者が卒塔婆形町石に礼拝をしながら山上を目指したことを今に伝えています。
IMG_4382.JPG
IMG_4379.JPG
卒塔婆形町石(そとばがたちょういし)
高野山壇上伽藍を起点とし山麓の慈尊院に至る参詣道に180基、
壇上伽藍か ら奥之院に至る参詣道に36基の卒塔婆形町石が
1町(約109m)ごとに建てられています。
町石には密教の仏尊を示す梵字と壇上伽藍までの町数、
そして寄進者の願文が刻んであり、全長約23km(うち高野山内4km)、
標高差700mの道をたどりました。
町石道が開かれた当初は木製であったため、やがて朽ちていきましたが、
鎌倉時代、幕府の有力御家人、安達泰盛らの尽力で朝廷、貴族、武士などの
広範な寄進により木製の卒塔婆に代わって石造の五輪卒塔婆が建立され、
ほぼ完全な形で今日に遺されています。
百八十丁
DSC_4303.JPG
三拾丁
IMG_4748.JPG
四丁
IMG_4723.JPG
丹生酒殿神社(にうさかどのじんじゃ)
天照大神の妹君・丹生都比売命(にゅうつひめのみこと)を含め
複数の神を合祀した『丹生酒殿神社』。
神社名は木の川(=紀の川)の水でお酒を醸造した事に由来していると言われています。
また、丹生都比売神がこの地に降臨した時、地主神の竈門明神が酒を造り、
初めて神前に供えた事に由来するという説もあります。
IMG_4401.JPG
IMG_4410.JPG
九度山散策を終え、いよいよ高野山へ(車ですが)。
VOL.2へ続く。


ワカシャチ漫遊記第3章「剣山登山・二重かずら橋」2019年10月

2019年10月27日(日)
日本百名山の剣山へ登山に行きました。
高松の自宅から下道で美馬町経由つるぎ町へ。
途中、貞光ゆうゆう館で剣山の情報をゲット。
自宅より約2時間で見ノ越駐車場へ到着。
駐車場は満車のため、少し下った路上へ駐車。
剣山
剣山(つるぎさん)は徳島県三好市東祖谷、美馬市木屋平、
那賀郡那賀町木沢の間に位置する標高1,955mの山で、徳島県の最高峰です。
日本百名山の一つに選定され、徳島県では県のシンボルとされている。
別名太郎笈(たろうぎゅう)と呼ばれ、南西側の次郎笈と対峙する。
剣山は千数百メートルの山々が連なる四国山地の東部にあり、
同じく四国山地西部の石鎚山に次いで、近畿以西の西日本では2番目の高峰。
一帯は剣山国定公園に指定され、山頂には一等三角点「剣山」が設置されている。
修験道の山として古くから知られ、山頂近くには「行場」と呼ばれる修行用の難所がある。
山岳信仰の対象とされ、剣神社、大剣神社、龍光寺、円福寺などがある。
山名の由来は安徳天皇ゆかりの剣にちなむとされるが、
頂上直下にある大剣神社の剣岩が由来とする説もある。
剣山観光登山リフト
標高1,420mから1,750mまで、斜距離830m・所要時間15分間で西島駅へ。
上駅・西島駅で降りて頂上1,955mまでは約40分で登れます。
登山リフト見ノ越駅
IMG_4047.JPG
本日の天候:晴れ 気温:頂上付近9℃
IMG_4048.JPG
リフト付近は紅葉していました。
IMG_4052.JPG
西島駅から剣山頂上へのコースは4コース。
「遊歩道コース」「大剣道コース」「尾根道コース」「行場コース」があります。
剣山は初心者でも気軽に登れる山ですので、どのコースも比較的登りやすくなっている。
大剣道コースで山頂を目指しました。
遊歩道コースより、少し傾斜はありますが、初心者や散策を楽しみたい方にオススメできるコースです。
IMG_4058.JPG
12:00 鳥居をくぐり登山スタート。
IMG_4062.JPG
12:25 大剣神社
登山道の途中にある神社で、剣山を訪れる人の中には、「この大剣神社に参拝するのが大きな目的」
という人がいるほど、ご利益をいただけるパワースポットです。
『天地一切の悪縁を断ち、現世最高の良縁を結ぶ』と伝えられている。
IMG_4077.JPG
神社の裏手には、御神体である巨大な「御塔石(おとうせき)」が鎮座しています。
DSC_3879.JPG
IMG_4096.JPG
IMG_4092.JPG
ここまで登ると、「剣山本宮」のある頂上はすぐそこです。
12:50 剣山本宮 宝蔵石神社1,930mに到着。
剣山山頂直下にあり、元々、修験の行場でもあったとされる。
また、かつては、源氏と平氏の立場が逆転し、源氏が隆盛を極めていく中、
その挽回を期し、四国太郎山(石立山)の不思議の池に安徳帝の御剣を天に奉じて
武運長久の御祈願を申し上げたところから、剣山と呼ばれるようになり、
そこに神社を建立したことに始まるとされる。
神社背後には安徳天皇の剣を納めたといわれる巨石もある。
DSC_3886.JPG
DSC_3888.JPG
御朱印をいただきました。
DSC_3989.JPG
宝蔵石神社の後ろの巨大な岩は磐座(いわくら)と呼ばれています。
1185(文治元)年の「屋島の合戦」で敗れた平家の一行が、
幼い安徳(あんとく)天皇を連れて落ちのびてきたとか、
かつて渡来してきた古代イスラエル人がソロモンの秘宝を埋蔵したとか、
数々のミステリアスな伝説が語り継がれています。
なだらかな山頂付近にドンと鎮座するこの岩は、
剣山のパワースポットの一つとして知られています。
IMG_4111.JPG
剣山の山頂付近は、ミヤコザサに覆われたなだらかな平原になっており、
屋島の戦いに敗れてこの地に隠れ住んだ平家の落人たちが、
再興を期して調教訓練に励んだという言い伝えが残されています。
IMG_4118.JPG
13:10 剣山山頂到着。
標高が高い山頂周辺は、見晴らし抜群。
展望デッキからは360度ぐるりと広がる、素晴らしいパノラマ風景を見ることができます。
晴れた日には、剣山から続く四国山地の西端にそびえる石鎚山をはじめ、
遠く瀬戸内海や土佐湾まで見渡せることもある。
IMG_4120.JPG
DSC_3893.JPG
IMG_4134.JPG
剣山の一等三角点は石積みがあり、崩れないように、25年ほど前から
しめ縄が、毎年掛け替えられています。
IMG_4121.JPG
頂上からの展望は実によく、南西には徳島県第2の高峰次郎笈(じろうぎゆう)がどっしりと座り、
その尾根のさらに西には丸石(まるいし)、白髪山(しらがやま)、三嶺(みうね)と
すばらしい縦走路が一望できる。
IMG_4144.JPG
IMG_4133.JPG
頂上で昼食(おにぎり)を食べて下山開始。
復路は、遊歩道コースで帰りました。
二度見展望台
二度見展望所は太郎笈こと剣山と次郎笈(ジロウギュウ)の両方を見られるとっておきの場所です。
また、ミステリースポットとして知られる「鶴岩・亀岩」も見ることが出来ます。
DSC_3907.JPG
IMG_4147.JPG
白骨林
あざやかな空の青と木々の緑を背景に、白い木肌をさらす奇妙な姿が印象的な白骨林は、
剣山を代表する景色のひとつです。
IMG_4157.JPG
14:30 登山リフト西島駅到着
DSC_3913.JPG
15:00 下山 久々の登山でしたが何とか登れました。(リフトのおかげ)
奥祖谷二重かずら橋
徳島県三好市、剣山から車で約15分の、祖谷川上流に架かる2本の吊橋。
かずらで編まれた2つの橋は男橋と女橋と呼ばれています。
剣山系の懐深く、日本の三大秘境にふさわしい全てが純粋なロケーションです。
四季を通じて失われることのない原風景がパノラマで展開します。
本家かずら橋に比べると少し小ぶりですが、
吊り橋が2つ並んでみることができる場所はここだけです。
IMG_4170.JPG
IMG_4174.JPG
IMG_4232.JPG
IMG_4183.JPG
IMG_4210.JPG
なかなか行けないと思っていた、奥祖谷の二重かずら橋が、
剣山の近くにあったことはラッキーでした。(車で15分くらいの場所)
おおきなおまけがついてきた剣山登山でした。

ワカシャチ漫遊記第3章「善通寺・観音寺散策」2019年10月

2019年10月20日(日)
善通寺と観音寺を散策しました。
善通寺
善通寺は「屏風浦五岳山誕生院善通寺」と号し、山号の「五岳山」は、
寺の西にそびえる香色山・筆山・我拝師山・中山・火上山の五岳に由来し、
その山々があたかも屏風のように連なることから、
当地はかつて「屏風浦」とも称されました。
そして、「誕生院」の院号は、お大師さま御誕生の地であることを示しています。
御誕生所である善通寺は、京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ
弘法大師三大霊跡のひとつとして、古くから篤い信仰をあつめてまいりました。
金堂
善通寺の本堂である金堂は、伽藍(東院)の中央に位置します。
創建期の建物は、永禄元年(1558)の兵火によって焼失し、
元禄12年(1699)に再建されたものです。国重要文化財。
IMG_3890.JPG
御影堂
御影堂のある誕生院は、弘法大師空海が生まれた
佐伯家の邸宅跡に建てられた寺院です。
江戸時代まで独立した寺院として善通寺全体を監督、管理していました。
その中心となるのが御影堂です。現在の建物は天保2年(1831)の建立で、
昭和12年(1937)に大規模な改修を行っています。
IMG_3902.JPG
五重塔
基壇から相輪までの高さが約43メートルの五重塔は、
国内の木造塔として3番目の高さを誇ります。
創建以来いくたびかの倒壊、焼失により再建を繰り返し、
明治35年(1902)に完成した現在の五重塔は、4代目となります。
塔の中には、密教思想の中心的存在である五智如来(五仏)が安置されています。
国重要文化財。
IMG_3887.JPG
御影池
佐伯家の方々がお住まいの頃は、その邸宅の庭にあった池でした。
お大師さま入唐留学の折、自身を水面に映し、自像を描いて母君に差し上げられたと伝わり、
この池の名を「御影池」といいます。
中央には、弘法大師が御入定後に住まわれるという
兜率天(とそつてん)の教主である弥勒菩薩坐像を安置し、
修行中のお大師さまとご両親の像がとり囲みます。
IMG_3900.JPG
大楠
南大門北と五社明神社のかたわらにある2株の楠は、いずれも樹齢千数百年と伝え、
お大師さまの幼少の頃、そして善通寺の創建当時を偲ばせる大木です。
「善通寺境内の大グス」として香川県の天然記念物に指定されています。
IMG_3889.JPG
熊岡菓子店のかたパン
国立善通寺病院南東にある仙遊町の歩道橋の角を南に入り、善通寺の二十日橋の前を通り、
南の通りへ突きあたる道は、昔の金毘羅街道の面影を残す町並みです。
この一角に熊岡菓子店があります。創業は明治29年(1896年)。
現在の建物は大正2年(1913年)に建てられたもので、
店の内外ともに建てられた当時のまま、現在も使われています。
お菓子の陳列ケースも昔から大事に使い続けたもので、
中にはなつかしいお菓子が並べられています。
ここの名物は「カタパン」。理想的な軍事食糧として考案されたもので、
創業当時は「兵隊パン」と呼ばれていました。
現在のカタパンは小麦粉と砂糖を練りあげて焼かれたもので、
「善通寺名物本家堅パン製造本舗」と書かれた紙袋に入ったなつかしい味です。
折角、かたパン目当てで参拝したが、すでに売り切れていました。
お寺の売店で、お土産で売っていたものを買って帰りました。
DSC_3670.JPG
DSC_3672.JPG
DSC_3733.JPG
本日のランチ
手打ちうどん渡辺
どんぶりを覆う大きな天ぷらが印象的な「天ぷらうどん」。
まずは天ぷらだけを食べて食感を楽しみ、途中でだしに浸して味わうのがおすすめ。
麺の上に敷き詰めたワカメとの相性も抜群。
巨大なあげが入った「きつねうどん」と並ぶ人気。
本日、3回目にしてようやく天ぷらうどんを食べることができました。
きつねうどんは、少し前に天ぷらが売り切れていた時に食べました。
DSC_3692.JPG
DSC_3682.JPG
うどん20190608渡辺 (2).JPG
琴弾八幡宮
琴弾公園入口の大鳥居から、381段の石段を上がると本殿があります。
DSC_3719.JPG
DSC_3720.JPG
いわれによると、大宝3年(703年)、嵐の過ぎ去った夜に、
海岸に一隻の船が現れ、妙なる琴の調べにうっとりした人々が、
琴の主を船とともに山頂にひきあげ、神殿を建て、
「琴弾八幡宮」を祀ったといわれています。
源義経が源平合戦の勝利祈願をしたことで知られ、
今も義経参詣の願文、神馬の奉納などの史実、史跡が残っています。
それゆえに、勝負の神様ともいわれ、受験戦争に勝ちたい学生など、多くの参拝者が訪れます。
今日は琴弾八幡宮大祭(ことひきはちまんぐうたいさい)でした。
9台のちょうさ(太鼓台)がその勇壮さを競います。
太鼓台奉納は江戸時代からの伝統があり、現代でも細かい規則に則って運営されています。
DSC_3698.JPG
DSC_3715.JPG
DSC_3706.JPG
DSC_3721.JPG
DSC_3710.JPG
琴弾八幡宮に奉納する9台の太鼓台は、周辺地域に比べてかなりの大型で、俗に3t級と呼ばれている。
また、夜間の電飾がとても派手である事でも有名である。
現地では、「観音寺祭り」「観音寺ちょうさ祭り」と呼ばれている。

ワカシャチ漫遊記第3章「西条 酒まつり」2019年10月

2019年10月13日(日)
地元東広島市の西条酒まつりに行ってきました。
西条酒まつり
西条酒まつり(さけまつり)は、毎年10月第2土・日曜の2日間にわたって
広島県東広島市西条町の西条中央公園と西条酒蔵通りを中心にして行われる祭りです。
1990(平成2)年以降、市民の祭りとして毎年、JR西条駅南側一帯で開催しています。
令和元年10月12日(土)と13日(日)に開催した「2019酒まつり」は、
台風19号の影響を受けながらも初日に約10万人、
快晴となった2日目は約13万人の合計約23万人の人出となった。
私の高校時代(広島県立賀茂高等学校)にはまだ始まっていなかった。
IMG_3855.JPG
DSC_3490.JPG
東広島市
東広島市(ひがしひろしまし)は、広島県の中央部に位置する市。
1973年に広島大学の統合移転先が旧西条町に決定したことを受け、
大学を中心とした学園都市建設の機運が高まり、
1974年に西条町他周辺3町が合併して東広島市となった。
私の故郷の河内町も、現在は東広島市に属します。
市名は広島市の東側に位置することに由来する。
東広島市は酒どころとしても有名で、
酒都(西条酒)・吟醸酒発祥の地(安芸津の酒)と
2つの歴史的な酒処がある日本有数の日本酒の産地。
西条・灘・伏見で日本三大酒処として知られる。
狭い地域に多くの酒蔵が軒を連ねて並ぶ「酒蔵通り」には、
白壁やなまこ壁、赤煉瓦の煙突など独特な建物が並んでいる。
人口は2019年9月末現在188,372 人。
DSC_3508.JPG
IMG_3857.JPG
DSC_3537.JPG
賀茂鶴酒造株式会社
1873年(明治6年)9月9日、木村和平が酒銘を「賀茂鶴」と命名。
「賀茂」は地名であると同時に酒を造るという意味の“醸す”が掛けられ、
これをめでたい鳥である「鶴」と組み合わせた。
ラベルに描かれている2羽の「鶴」と「富士山」は、鶴は信頼を表し、
富士山は品質が日本一であることを表している。
2014年、アメリカ合衆国のバラク・オバマ大統領訪日の際、
安倍晋三首相がすきやばし次郎でオバマ大統領と会食を行った。
この時に出されたお酒が、賀茂鶴酒造の「大吟醸・特製ゴールド賀茂鶴180ml角瓶」です。
瓶の表面の細かな水滴から、適温に冷えている様が窺えたそうです。
DSC_3504.JPG
DSC_3511.JPG
DSC_3501.JPG
DSC_3514.JPG
酒まつり当日、賀茂鶴酒造の敷地内では
酒BAR・梅酒BARが出店し、有料の試飲、利き酒のイベントなどが行われていた。
梅酒の試飲をし、梅酒を購入して帰りました。
DSC_3523.JPG
DSC_3521.JPG
DSC_3529.JPG
今回初めて酒まつりに行きました。
立派なお祭りでとても感激しました。
また酒まつりに行くもう一つの理由は
私の高校生の同級生が、毎年店を出していて、懐かしい友達と会えることです。
高校卒業して以来数十年ぶりの再会でした。
おそろいのTシャツを着て頑張っていました。
DSC_3498_LI.jpg
FB_IMG_1571418136936.jpg

ワカシャチ漫遊記第3章「香川県散策」2019年9月

2019年9月は香川県内を毎週のように散策しました。
台風や雨がが多く、予定がなかなか立て辛い月でした。
■2019年9月7日(土)
東京・大阪より職場の先輩や仲間が来られアテンドです。
高松駅に集合、昼食を済ませまずは瀬戸大橋へ。
DSC_2845.JPG
続いて観音寺へ移動し、銭形砂絵
DSC_2764.JPG
上から
DSC_2765.JPG
下に降りて
DSC_2859.JPG
3時に軽くうどんを食べ(人数多かったのでたらいで):店は長田うどん
うどん20190907長田うどん (8).JPG
うどん20190907長田うどん (6).JPG
うどん20190907長田うどん (3).JPG
夕食は、一鶴で骨付き鶏を。
肉20190907一鶴土器川店 (1).JPG
DSC_2873.JPG
肉20190907一鶴土器川店 (4).JPG
皆さんに喜んでいただけました。
8日の日曜日は皆さん丸亀城へ行って、早めに予定を切り上げ帰路に。
東京組は新幹線で何とか家に帰れたようです。
■2019年9月15日(日)
道の駅源平の里むれ
源平屋島合戦の舞台として知られる高松市牟礼町にある道の駅。
IMG_3620.JPG
地元の特産品が並ぶ物産品コーナーやセルフの海鮮食堂があります。
海鮮食堂じゃこやで名物のハマチのづけ丼と天丼五剣山を食べる。
食堂20190914食堂じゃこや (14).JPG
食堂20190914食堂じゃこや (18).JPG
高松市立房前公園(ふさざきこうえん)
牟礼町の東部高台に位置し東側に志度湾、西側に五剣山を望み正面には
「二十四の瞳」の舞台で有名な小豆島も見渡せる景観が目の前に広がっています。
四国遍路の父と言われる真念の没地という特性から「お遍路さんの拠点」として、
「道の駅」「物産展示場」とともに一体整備されています
IMG_3632.JPG
コトデン車両1両(志度線などで大正15年~平成18年まで80年間走行)
IMG_3623.JPG
さぬきワイナリー
ワインの原料ぶどうは、地元さぬき市志度地区と香川県多度津町より受け入れ、
瀬戸内の風土が育んだ味わい深いワイン造りを行っています。
定番には瀬戸の月光、曙、百景があり、美珀のいちごワインは
香川県の「さぬき姫」を使ったフルーツワインです。
IMG_3640.JPG
津田の松原
3千本の松が立ち並ぶ松原の広さはほぼ10ヘクタール、長さは1キロメートル。
風格のある松の古木は樹齢600年を越える。
大正4年(1915)「琴林公園」の名で県立公園に指定されて以来、多くの人々に愛された津田の松原は、
昭和31年(1956)、瀬戸内海国立公園にも指定され、さぬき市を代表する風雅な景勝地にもなっています。
IMG_3655.JPG
IMG_3648.JPG
日本ドルフィンセンター
香川県さぬき市津田町には、イルカと触れ合ったり泳いだりできる施設
「日本ドルフィンセンター」があります。
ここは四国地方では、最初に誕生したイルカとのふれあい施設になり、
GWや夏休みにはカップルや家族連れを中心にとても人気の観光スポットです。
IMG_3657.JPG
DSC_3002.JPG
しろとり動物園
香川県東かがわ市にある動物園。株式会社白鳥どうぶつ園が運営する。設立は1985年。
どこの動物園よりも人と動物との距離が近く、動物たちが自由にのびのび過ごしています。
DSC_3058.JPG
DSC_3091.JPG
ホワイトタイガーの数は日本一です。
DSC_3033.JPG
■9月16日(月)
坂出の香川県立東山魁夷せとうち美術館へ行ってきました。
香川県立東山魁夷せとうち美術館
香川県は、東山魁夷画伯の祖父が坂出市櫃石島の出身で、本県とゆかりが深いことから、
ご遺族より版画作品270点余の寄贈を受け、香川県立東山魁夷せとうち美術館が整備された。
美術館では、画伯と本県とのゆかりを紹介し、様々なテーマで所蔵作品を展示するとともに、
他の美術館との連携を図り、画伯や画伯ゆかりの日本画家の作品を展示するなど、
東山画伯に関連する多種多様な交流を積極的に推進している。
IMG_3746.JPG
IMG_3753.JPG
■10月5日(土)
丸亀市を訪れました。
ランチは坂出の日の出製麺所
ネギも自分で刻みます。
うどん20191005日の出製麺所 (4).JPG
うどん20191005日の出製麺所 (5).JPG
うどん20191005日の出製麺所 (13).JPG
中津万象園
中津万象園は、丸亀市中津町にある日本庭園。
面積5ヘクタールの池泉回遊式大名庭園は、貞享5年(1688年)に丸亀藩主である京極高豊の命により、
丸亀城の城下町に近い中津の浜に面して造られた。庭園名は森羅万象に由来するとされる。
京極氏の故郷である近江国の琵琶湖をかたどった八景池が掘られ、
帆、雁、雪、雨、鐘、晴嵐、月、夕映と近江八景になぞらえ名付けられた島々が浮かび、橋で巡る事ができる。
IMG_3756.JPG
IMG_3789.JPG
樹齢六百年と言われ傘に似た形を持つ大傘松。
IMG_3777.JPG
丸亀城
石垣の名城と言われる丸亀城は香川県丸亀市にある現存十二天守の一つです。
当時最高技術の石垣と現存十二天守の中で一番小さな天守を持ち、日本100名城にも選ばれています。
石垣は、緩やかであるが荒々しい野面積みと端整な算木積みの土台から、
頂は垂直になるよう独特の反りを持たせる「扇の勾配」と呼ばれる。
山麓から山頂まで4重に重ねられ、合わせると60メートルになり、総高としては日本一高い。
総高としての日本一であり、単体としての日本一高い石垣は大坂城で、僅差で上野城が続いている。
IMG_3810.JPG
IMG_3818.JPG
丸亀城からは瀬戸大橋や讃岐富士と呼ばれる飯野山(標高421.9m)が一望できます。
IMG_3824.JPG
IMG_3821.JPG
昨年7月上旬の西日本豪雨の影響により、城の南西部を取り囲むように築かれた
「帯曲輪」と呼ばれる石垣の一部が、高さ約7メートル、幅約30メートルにわたり崩落。
その崩落した丸亀城石垣修復が始まっていました。
IMG_3851.JPG
IMG_3850.JPG
日本一小さい県にも日本一がたくさんあります。

ワカシャチ漫遊記第3章「徳島鳴門散策と四国88ヶ所巡礼のお礼参り」2019年8月

2019年8月31日(土)☁/☔
8月の最終日、四国88ヶ所霊場1番札所霊山寺へ行ってきました。
DSC_2675.JPG
DSC_2678.JPG
今回、霊山寺へ行った理由は、「満願之証」をもらいに行きました。
「結願証」と「満願之証」
四国88ヶ所1番札所霊山寺~88番札所大窪寺を参拝すると、
大窪寺納経所で、結願証をいただくことができます。
A3サイズ 志納金:2000円 
88番大窪寺でいただいた結願証です。
DSC_2255.JPG
88番札所大窪寺を巡拝し、その後1番札所霊山寺に戻り参拝すると、
新たに特別な揮毫(日付入り)を納経帳にいただき、満願之証もいただくことができます。
A3サイズ 連名 支納金:2000円
1番霊山寺でいただいた満願之証です。
DSC_2711.JPG
霊山寺でいただいたお接待の立派な念珠と揮毫と朱印
DSC_2717.JPG
雨が降り始めたため、予定を早めに切り上げ帰宅。
メインは霊山寺でしたが鳴門エリアの散策も少しできました。
大麻比子神社
大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)は、徳島県鳴門市大麻町板東にある神社で、
式内社(名神大社)、阿波国一宮です。
徳島きってのパワースポットで、通称として「大麻さん」とも呼ばれ、
阿波国・淡路国両国の総鎮守として、現在は徳島県の総鎮守として信仰を集めています。
県下一の格式を誇る神社で、農業、産業の守り神である大麻比古大神と
交通安全、厄除けの神である猿田彦大神が祀られている
DSC_2685.JPG
IMG_3594.JPG
大麻比古神社のご神木である樹齢千年余りの楠は、幹回りが8.3メートル、
高さが22メートルもあり、鳴門市指定の天然記念物。
お参りする人が絶えないこのご神木の周辺では、霊気さえ漂うような
雰囲気を感じ幹はお顔のようにも見えます。
IMG_3588.JPG
板東俘虜収容所跡
板東俘虜収容所(ばんどうふりょしゅうようじょ)は、第一次世界大戦期、
日本の徳島県鳴門市大麻町桧(旧板野郡板東町)に開かれた俘虜収容所。
ドイツの租借地であった青島で、日本軍の捕虜となったドイツ兵(日独戦ドイツ兵捕虜)4715名のうち、
約1000名を1917年から1920年まで収容した。
1917年に建てられ、約2年10か月間使用された。
収容所跡は2018年度に国の史跡に指定された。
現在はドイツ村公園として整備されている。
公園入口には当時の雰囲気を再現した門があり、園内には、
実際に給水施設や製パン所などがあった場所の基礎がいくつか残されています。
IMG_3608.JPG
IMG_3606.JPG
IMG_3601.JPG
板東俘虜収容所では、所長である松江豊寿をはじめとした管理スタッフがドイツ兵の人権を尊重し、
できるかぎりの自主的な生活を認めていました。
そのため、ドイツ兵たちは元々優れていた技術を活かして様々な活動に取り組み、
中でも盛んだった音楽活動においては、ベートーヴェンの「交響曲第九番」を、
アジアで初めてコンサートとして全楽章演奏しました。
また、ドイツ兵たちは地域の住民とも交流を深め、
親しみを込めて「ドイツさん」と呼ばれるようになるほど打ち解けていました。
こうしたエピソードから、板東俘虜収容所は模範収容所と評価されました。
本日のランチ
最近徳島ラーメンにはまっており、前回に引き続き今回も徳島ラーメンを食べる。
中華そば春陽軒
中華そば肉玉子入り、卵は黄身だけを使う。(茶系)
DSC_2669.JPG
DSC_2661.JPG
DSC_2668.JPG
讃岐うどんバーガー
朝、高速徳島道の松原SAで土日祝限定の讃岐うどんバーガーを食べる。
うどん出汁のきいた醤油ベースの味ベースのハンバーガーで、意外といける。
DSC_2646.JPG
DSC_2647.JPG
DSC_2656.JPG
DSC_2649.JPG

ワカシャチ漫遊記第3章「岡山県児島エリア散策と丸亀花火大会」2019年8月

2019年8月24日(土)
岡山県の児島市を散策しました。
児島エリア
児島は瀬戸内海に面した岡山県最南端(島嶼部を除く)の児島半島西部に位置する
面積約80km2、人口約7万5千人の地域である。
旧児島市で、現在は倉敷市となっていた。(ずっと児島市だと思っていました)
また、1988年4月10日に完成した瀬戸大橋(本州四国連絡橋のうちの「児島・坂出(香川県)ルート」)の
本州側の起点でもある。
古くから海運業や製塩業、繊維業が栄え、現在も学生服・ユニフォーム・ジーンズ等を代表とする繊維(アパレル)産業が盛ん。
日本産ジーンズ発祥の地としても知られている。
観光面では瀬戸内海国立公園の主要景勝地の一つである鷲羽山や王子が岳、
中世からの港町である下津井などを有する。
鷲羽山第二展望台
日本初の国立公園として知られる瀬戸内海国立公園の代表的な景勝地で、
鷲が羽を広げた様子に似ていることから「鷲羽山」と名付けられました。
標高133mの山頂「鍾秀峰(しょうしゅうほう)」からは、波静かな海上に点在する
大小50余りの多島美と雄大な瀬戸大橋の姿を存分に楽しむことができます。
特に夕景の美しさは格別で、「日本の夕陽百選」に選定されています。
DSC_2397.JPG
今回は、第二展望台より瀬戸大橋を眺めました。
快晴ではなかったので少し霞んでいました。
IMG_2865.JPG
丸亀の讃岐富士もかすかに見える。
IMG_2881.JPG
橋を渡る電車は間近に。
IMG_2872.JPG
児島ジーンズストリート
国産ジーンズの聖地・児島で注目を集める児島ジーンズストリート。
旧野﨑家住宅から野﨑の記念碑までの約400mの通りに地元ジーンズメーカーが軒を連ねています。
世界に誇る「ジャパンデニム」のオリジナリティー溢れるジーンズが購入できるとあって、
最近では海外からも多くの観光客が訪れています。
周辺にはジーンズ以外の魅力的なショップやカフェが揃っていて、1日中楽しめるエリアです。
DSC_2454.JPG
トイレもおしゃれに。
DSC_2456.JPG
町はジーンズ一色でした。
DSC_2426.JPG
デニムグッズショップのほかに、飲食のお店も何店舗かありました。
倉敷美観地区ではデニムマン(青い肉まん)を食べましたが、
今日はジーンズストリートオリジナルのインディゴソフトを食べました。
児島ジーンズストリートのコミュニティステーション”RIVETS(リベッツ)”
爽やかな塩バニラ味の青いソフトクリーム、インディゴソフト
DSC_2434.JPG
DSC_2445.JPG
旧野﨑家住宅・野﨑家塩業歴史館
旧野﨑家住宅(国指定重要文化財)は、江戸時代後期に大規模な塩田を開き、
「塩田王国」を築いた野﨑武左衛門が建てた民家です。
約3000坪の敷地内には主屋を中心に6棟もの土蔵群が軒を連ねており、
庭のあちこちに茶室が見られるなど、当時の勢いをうかがわせます。
さらに土蔵の中では、塩づくりに関する歴史的な資料や江戸時代からの民具などを展示しています。
IMG_2894.JPG
IMG_2896.JPG
IMG_2928.JPG
本日のランチ
岡山県倉敷市児島に本店を構える「ふく仙」でたこ料理を食べる。
和食20190824ふく仙人 (2).JPG
和食20190824ふく仙人 (21).JPG
和食20190824ふく仙人 (16).JPG
和食20190824ふく仙人 (11).JPG
まるがめ婆娑羅まつり
婆娑羅は薬師十二神将(じんしょう)の一神で、伐折羅大将・金剛(こんごう)大将とも呼ばれます。
そのお姿があまりにも際立(きわだ)って異様だった。
鎌倉末期ころから奇(き)をてらい華美をつくす振る舞いや派手(はで)な姿をする伊達者(だてもの)も
「ばさら(婆娑羅・婆沙羅・婆佐羅・時勢粧)」と呼ばれるようになりました。
今の丸亀市の中心市街地は、江戸時代丸亀藩の城下町でした。この城下町を発展させたのは、
藩主の京極氏で、京極氏の祖先で「婆娑羅大名」と呼ばれ、脚光を浴びた人物が「佐々木道誉」です。
彼は、室町時代の初期に活躍し、足利尊氏を助け、室町時代を支えた実力者でした。
自由・狼藉がまかり通っていた時代に、従来の秩序や権威に対して、
果敢に挑戦した道誉を「婆娑羅大名」の代表格としました。
まるがめ婆娑羅まつりは、中心市街地が「婆娑羅」の気風を受け継ぎ、
再び丸亀の顔として、賑わいのある街になることを期待して、名付けたものです。
最終日は日曜日ですが、前日の夜、花火大会が催されます。
【打上場所】 丸亀港内台船上
「まるがめ婆娑羅(ばさら)まつり」の一環として丸亀港で花火大会が開催されます。
2019年は“趣向を凝らした花火が丸亀の夜空を彩る!”をテーマに、5号玉などを含め、
スターマイン、スパンコール、早打ちなど5,000発が丸亀の夜空を飾ります。
丸亀港の中心に浮かぶ台船上から打ち上げられ、間近で迫力ある花火が楽しめます。
我々は、無料開放された丸亀ボートの駐車場へ車を止めて、ボートの会場で花火を観覧。
3時間前に到着し、屋根付きの屋外の関を確保。
8時15分の打ち上げまでは、クーラーのきいた観覧席から、エキシビションのボートレースを
見学したり、館内で食事もできて快適に打ち上げを待つことができました。
とくに、時々雨が降りましたが、全く問題ありませんでした。
エキシビションの婆娑羅カップ
IMG_2941.JPG
館内より観戦
IMG_2949.JPG
2レースありました。
IMG_2982.JPG
本番さながらのイベントで、お菓子などの商品ももらえます。
IMG_3082.JPG
いよいよ花火開始。
ボートレース場の壁が少し気になりますがゆったり観覧できました。
IMG_3176.JPG
IMG_3422.JPG
IMG_3569.JPG
IMG_3557.JPG
DSC_2578.JPG
4時半ごろの駐車場(入場)は余裕でしたが、帰り、駐車場から脱出するのに1時間かかりました。
止める場所を工夫すれば、もう少し早く脱出できるかも。
駐車場はホテル近くがベスト。
もう一つは、丸亀ボートの駐車場へ止めるなら、ゆっくり歩いて市内へ繰り出し、
ゆっくり帰ってくれば、帰るころには渋滞も緩和される。
来年もぜひ楽しみたい。

ワカシャチ漫遊記第3章「四国88ヶ所巡礼再開と徳島散策」2019年8月VOL.3

2019年8月17日(土)
7月に続き徳島へ行きました。
今回は四国88ヵ所最後の4ヵ所のお寺参りと、
結願のお寺大窪寺で結願証明書をもらうことでした。
途中、美馬市を散策しました。
藤井寺
全長236キロ、四国最大の吉野川が阿波の北部を貫流している。
阿波中央橋を南に渡り、およそ3キロの山麓に十一番霊場の山門が見えてくる。
三方を山に囲まれ、渓流の清らかな仙境に心を惹かれた弘法大師が、
この地で護摩修法をされたのは弘仁6年のことと伝えられている。
大師は42歳の厄年に当たり、自らの厄難を祓い、衆生の安寧を願って薬師如来像を彫造して、堂宇を建立した。
その地からおよそ200メートル上の8畳岩に、金剛不壊といわれる堅固な護摩壇を築いて、一七日間の修法をされた。
その堂宇の前に5色の藤を植えたという由緒から、金剛山藤井寺と称されるようになった。
IMG_2631.JPG
IMG_2634.JPG
大師お手植えと伝わる古木の藤棚が有名だが写真撮っていなかった。
本堂左手に焼山寺への山道があった。
ここから山を3つ超え歩いて約6時間くらいかかるそうだ。
我々は車で30分で焼山寺へ行く。
IMG_2635.JPG
杖杉庵(じょうしんあん)
杖杉庵は、最初に四国八十八箇所を巡った伝説の人物とされる衛門三郎
終焉の地伝説が残る場所に建つ寺院である。
伝説によれば、平安時代前期の天長年間(824年 - 833年)に、伊予国の人であった衛門三郎は
四国巡錫中の弘法大師に行った無礼な行いを詫びるため弘法大師を追って旅に出たという。
21回目に逆回りを行っている途中、四国八十八箇所12番札所焼山寺近くのこの地で力尽き病に倒れた。
そこに弘法大師が現れ、衛門三郎は非礼を詫びた。
大師が衛門三郎に来世の望みを訊くと、生まれ変われるなら河野家に生まれたいと望んで息を引き取った。
そこで大師は「衛門三郎再来」と書いて左の手に握らせた。天長8年(831年)10月20日のこととされる。
大師は衛門三郎をこの地に葬り、墓標として衛門三郎が遍路に使用した杉の杖を立てた。
これがやがて根を張り杉の大木となったという。
IMG_2640.JPG
IMG_2643.JPG
焼山寺(しょうさんじ)
焼山寺山(標高938メートル)の8合目近くにあり、四国霊場で2番目に高い山岳札所。
剣山や白髪山など四国山脈の山々がひろがる眺望はすばらしい。
四国霊場には「遍路ころがし」といわれた札所がいくつかあるが、焼山寺もその一つで、
昔から嶮しい坂道の難所を辿る「修行の霊場」であった。
いまは山上まで車道が通っている。
縁起によると、飛鳥時代に役行者が山をひらいて、蔵王権現を祀ったのが寺のはじまりとされている。
2日前に大きな台風が四国を直撃した後で、道は荒れていたが何とか通り抜けることができた。
駐車場からの参道も、木が倒れていたり、爪痕が残る。
IMG_2671.JPG
IMG_2659.JPG
IMG_2664.JPG
山越えの県道(細い道)を美馬市まで車で降りました。
うだつの上がる町並み
うだつの上がる町並みは、以前岐阜県の美濃市を訪れたことがあったが
徳島では美馬市が有名です。
美濃市に比べると、規模が少し小さいが立派なうだつを見ることができます。
美馬市は吉野川北岸の主要街道の撫養街道と讃岐への街道が交差する交通の要衝であり、
さらに吉野川に面するため舟運の利用にも適した位置にあります。
この町並みは、脇城の城下町として成立し、藍の集散地として発展したものです。
現在は明治時代頃のものを中心として江戸中期~昭和初期の85棟の伝統的建造物が建ち並んでおり、
近世・近代の景観がそのまま残されています。
この町並みの大きな特徴は、町家の両端に本瓦葺きで漆喰塗りの「うだつ」が多くみられることであり、
このことから「うだつの町並み」の通称で親しまれています。
IMG_2682.JPG
IMG_2769.JPG
建物の見方
①鳥ぶすま:鳥が鬼瓦に糞をしないための止まるところ。帆掛け船の帆の形。
②鬼瓦:魔除け、火除け、雷除け、家の守り神
③うだつ(卯建つ):隣からの火の粉を防ぐ、富の証として競った。
④虫籠窓(むしこまど):虫籠みたいな形、明かり、風いれ。
⑤のれん掛け
⑥出格子:格子が出ている。
無題.png
脇町劇場(オデオン座)
1933(昭和8)年8月、藤中富三氏・清水太平氏らが中心となり、旧脇町に劇場を建設することを提唱し、
翌年、脇町劇場は西洋モダン風の外観で、回り舞台、奈落などを備えた本格的な芝居小屋として建てられました。
戦前には歌舞伎や浪曲の上演で人気を集め、戦後には歌謡ショー公演や映画上映など地域の憩いの場として親しまれました。
その後、映画の斜陽化と建物の老朽化が重なり、閉館、取り壊される予定でした。
しかし、山田洋次監督の松竹映画『虹をつかむ男』のロケ舞台となったことがきっかけで、
平成11年に町指定文化財として昭和初期の創建時の姿に修復され、一般公開されることになりました。
毎年「うだつがあがる芝居公演」、「林家一門会」が開催されています。
IMG_2711.JPG
楽屋には三平師匠の言葉が襖に書かれています。
IMG_2723.JPG
IMG_2733.JPG
本日のランチ
うだつの町並みにある茶里庵で郷土料理を食べる。
DSC_2139.JPG
そば米雑炊
DSC_2141.JPG
半田そうめん
DSC_2156.JPG
十楽寺
寺は現在地から北3キロほど奥の十楽寺谷の堂ヶ原にあったと推定される。
大同年間に弘法大師がこの地を巡教して逗留されたときに阿弥陀如来を感得し、
如来像を刻んだのが本尊として祀られたと伝えられている。
その際に、大師は生・老・病・死など人間として避けることのできない苦難に、
10の光明と、輝く楽しみが得られるようにと「光明山十楽寺」の寺名を授けたといわれる。
IMG_2775.JPG
IMG_2783.JPG
安楽寺
安楽寺は弘法大師によって温泉湯治の利益が伝えられた旧跡で、山号は温泉山とされた。
(現在も大師堂前から温泉が湧き出ている。)
桃山時代に阿波藩祖・蜂須賀家政公が「駅路寺」と定め、四国遍路や旅人の宿泊、茶湯接待の施設を置いた。
その記録である「駅路寺文書」(慶長3年=1598)が今も残されており、宿坊は以来400年の歴史を有する。
IMG_2789.JPG
IMG_2793.JPG
IMG_2806.JPG
今日の安楽寺で、順番は前後しましたが、四国88ヵ所の巡礼が終わりました。
ということで、結願のお寺(88番目)、香川県の大窪寺によって、
結願の証明書をいただいて帰りました。
2,000円を支払って証書を書いていただけます。
IMG_2829.JPG
IMG_2853.JPG
これからの予定ですが、88ヵ所無事に巡礼できたことのお礼を
高野山の弘法大師に報告に行くのが通例です。
今秋には、高野山へ行こうと、これから計画します。
DSC_2255.JPG