ワカシャチ漫遊記第3章「GO TO TRAVEL四国」2020年9月 VOL.3

2020年9月21日(月)敬老の日。
シルバーウイーク3日目:徳島散策
<訪れた徳島の神社>
阿波神社
徳島県鳴門市大麻町にある阿波神社は、1221年(承久3年)に
勃発した承久の乱の後、同年に土佐へ、さらに1223年(貞応2年)に
阿波に移り約9年滞在の後、1231年(寛喜3年)にこの地で崩御した
土御門天皇を御祭神として祀っている神社。
撫養街道に面した一画に土御門天皇火葬塚があり、そのすぐそばに参道がある。
1940年(昭和15年)に紀元二千六百年記念行事として、
それまでの丸山神社から社名を阿波神社に改め、造営を開始、
延べ7万人の勤労奉仕によって1943年(昭和18年)に
竣工したという立派な本殿が、よく整備された境内に建つ。
温情深く、争い事を好まず、人の喜び悲しみを理解し、歌を愛したという
土御門天皇の面影が残るかのように、実に穏やかで落ち着いた佇まいの神社だ。
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土御門天皇
建久9年、父・後鳥羽天皇の譲位により3歳で践祚。
立太子はしていなかった。同年3月3日即位。
事実上後鳥羽上皇による院政がしかれていた。
しかし、穏和な性格が幕府との関係上心許ないと見た後鳥羽上皇は、
退位を迫り、承元4年、異母弟の順徳天皇に譲位し、同年上皇となる。
京都では、外祖父である源通親が別当として権力を掌握し、鎌倉では
正治元年に源頼朝が亡くなり、事実上北条時政による御家人政治が行われていた。
承久3年(1221年)の承久の乱のおりには、土御門上皇は何も関与していなかったので
処罰の対象にはならなかったが、父である後鳥羽院が遠流であるのに
自分が京にいるのは忍びないと、自ら申し出て土佐国に流された。
後に、より都に近い阿波国に移された。
鎌倉幕府も後鳥羽・順徳両上皇とは違って、
守護に対して阿波の宮殿を造営させるなどの厚遇振りを見せている。
その地は、現在の阿波市御所など諸説あり、特定されていない。
寛喜3年(1231年)10月に出家し、同月崩御。享年37。
土御門天皇火葬塚
徳島県鳴門市大麻町池谷には土御門天皇を御祭神とする
阿波神社があり、境内に火葬塚がある。
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松木殿
松木神社:徳島県板野郡板野町下庄栖養。栖養行在所(松木殿)跡にある。
土御門上皇が住んでいたとされる場所です。
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<訪れた資料館他>
徳島私立考古資料館
徳島市立考古資料館は「みて、ふれて、つくって、古代ロマンあふれる館」という
キャッチコピーをかかげ、1998(平成10)年に開館した。
徳島市内で発掘された、縄文時代から平安時代にかけての考古資料を収蔵・保管し、
広く展示公開してある。
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鳴門市ドイツ館
鳴門市ドイツ館は、板東俘虜収容所で過ごしたドイツ兵たちの活動の様子や、
地域の人々との交流の様子を展示した史料館です。
ドイツ兵たちが板東でどのような生活を送っていたのか、
地域の住民とどのように関わり合ったのか、
なぜドイツ館が創設されたのかなどを、具体的に知ることができます。
第九初演のエピソードが映像とロボットで語られる「第九シアター」は見所です。
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<徳島での食事・旬なもの>
焼きそば専門店突貫亭
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旬な鳴門金時と新高なし
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見どころ満載、食べ物もおいしい徳島の旅でした。
9月23日(火)秋分の日
完全休養日で、高松市内。
GO TO TRAVEL四国 4日間の走行距離
初日:高知 322km
2日目:愛媛 342km
3日目:徳島 230km
4日目:香川  16km
4日間合計: 910km

ワカシャチ漫遊記第3章「GO TO TRAVEL四国」2020年9月 VOL.2

2020年9月21日(月)敬老の日
3日目:徳島県
今日は徳島の歴史を体感するために1日散策しました。
<訪れた徳島県のお城>
撫養城(むやじょう)
築城は、古くは小笠原氏の居城と伝えられるが、はっきりとはわかっていない。
その後三好氏の配下の四宮氏が城主となったが、天正10年(1582年)、
長宗我部元親が阿波国へ侵入し、撫養城を長宗我部元親の配下である
真下飛騨守が守備する。
天正13年(1585年)、四国征伐により蜂須賀家政が阿波国の新領主となり、
徳島城の支城を9城置き(阿波九城)、益田正忠を撫養城の城番としてこれを守らせた。
一国一城令により、寛永15年(1638年)、廃城となった。
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撫養橋方面
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徳島市内方面
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勝瑞城跡(しょうずいじょう)
勝瑞城は鎌倉時代から安土時代まで、淡路国、讃岐国、阿波国の政治、
経済、文化の中心地として、天下の勝瑞として名をなし、
日本の中世史上重要な城跡である。
旧吉野川の南岸の自然堤防上に位置し、東側には今切川、南側には湿地帯に接している。
現在は吉野川の本支流に囲まれた吉野川平野の低湿地帯中央部に位置するが、
当時は湿地帯が多く、川幅も広く攻めにくい地形であったと思われる。
海岸線も現在より内陸部にあり水上交通も便利で、
紀伊水道を隔ててはいるが、京畿への往来も容易であった。
当地域は暴れ川「四国三郎」の分支流の多い場所で、平地の要塞というよりも、
守護の居館、政庁としての性格の強い城で、城の構えは広大であった。
室町時代の守護所の様態をよく伝える貴重な遺構である。
中世地方都市としては類例をみないほど城下町が繁栄し、細川氏9代、
三好氏3代の約240年の根拠地として歴史の舞台となった。
勝瑞城は、三好氏の菩提寺である見性寺の境内地にあり、
城跡は東西約80m、南北約60mの方形で、周囲は幅14mの水濠が巡り、
一部土塁が現存し、細川氏の守護所、三好氏の居館跡であったと思われていた。
しかし、近年に行われた発掘調査によると、中富川の戦いの時に急造された詰めの城、
最後の砦として築かれた可能性が指摘されている。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(175番)に選定された。
「司馬遼太郎と城を歩く」にも勝瑞城が出てくる。
「室町時代から戦国時代にかけて、阿波国を支配していた三好氏は、
この地を拠点に、畿内に進出。
一時は都を支配して天下を取る勢いも見せた。
その背景には、この豊かな穀倉地帯を領有する経済力と、
水軍を使って、兵力を迅速に動員できる抜群の機動力があった」
と記載されている。
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勝瑞城跡
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土塁
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<訪れた徳島のお寺>
見性寺(けんしょうじ)
徳島県板野郡藍住町にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は竜音山。本尊は釈迦牟尼。
三好氏の菩提寺で敷地内には勝瑞城址が残っています。
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三好家墓所(三好之長・三好元長・三好実休・三好長治)
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観音寺(天塚)
鳴門市里浦町にある観音寺はご本尊を聖観世音菩薩として永禄元年(1558年)開山。
境内には約150種・450株の牡丹が植えられており、牡丹寺として皆様に親しまれています。
大塚製薬の大塚家菩提寺でもあります。
また、清少納言の祈願寺としても有名。
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天塚
清少納言の父 清原元輔が里浦の領主をしていた時代があります。
清少納言は正暦4年(993)28歳のとき、一条天皇の中宮定子(当時17歳)に仕えました。
長保2年(1,000)、清少納言35歳の時に皇后定子(当時24歳)が死亡。
定子の死後、流浪の旅に出た清少納言が里浦に流れ着いたという伝承があります。
観音寺より北へ約750m、鳴門の海岸近くの路地裏にひっそりとありました。
案内板によると、このあま塚と呼ばれるお堂には、清少納言の墓が安置されている。
地元の言い伝えでは、清少納言はこの地で亡くなったという。
しかもその最期は非常に悲惨なものであり、地元の漁師に辱めを受けた末に、
海に身を投げて死んだとされている。
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阿波国分寺
徳島県徳島市国府町矢野に位置する寺院。
四国八十八箇所霊場の第十五番札所。
札所寺院としては単に国分寺と呼ぶのが通例である。
国分寺はこのお寺の周囲218m四方に及ぶ範囲に存在していたと考えられている。
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阿波国分尼寺跡
741年(天平13年)、聖武天皇の発願によって、全国に国分寺と国分尼寺が造られ、
奈良の東大寺を総国分寺に、法華寺を総国分尼寺とした。
阿波国分尼寺跡は、鮎喰川によって形成された沖積平野に突き出した気延山南麓に位置する。
金堂・北門・北東西の外濠、雨落ち溝などの遺構が確認された。
出土遺物のうち、軒丸瓦・軒平瓦からみると創建の時期(奈良時代)を示すが、
土器は平安時代のものが多く、創建当初の施設が長くは続かなかったことを示している。
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興源寺
興源寺(こうげんじ)は、徳島県徳島市下助任町にある臨済宗妙心寺派の寺院。
徳島藩主蜂須賀家の墓所があることで知られ、墓所は国の史跡に指定されている。
興源寺一帯は助任緑地として整備されている。
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家祖蜂須賀正勝(通称小六)の墓所
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霊山寺
四国八十八ヶ所霊場の全行程はおよそ1460キロ、365里におよぶ。
この霊場を札所番号の順に巡拝する遍路には、ここが「発願の寺」、
「同行二人」の長い旅となる。
縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が開創された。
弘仁6年(815)、弘法大師が四国の東北から右廻りに巡教された際、
この地で衆生の88の煩悩を浄化し、また衆生と自らの厄難を攘はらって、
心身の救済ができる霊場を開こうと37日間の修法をされた。
その時、仏法を説く一老師をたくさんの僧侶が取り囲み、熱心に耳を傾けている霊感を得た。
大師は、その光景が天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が説法をしていた情景と似ていると感じとり、
インドの霊山を和国(日本)に移す意味で「竺和山・霊山寺」と名づけられた。
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VOL.3へ続く

ワカシャチ漫遊記第3章「GO TO TRAVEL四国」2020年9月 VOL.1

2020年9月19日(土)
4連休(シルバーウィーク)が始まりました。
コロナ禍の中、GOTOTRAVELも始まりました。
私は初日高知、2日目愛媛、3日目徳島と
四国3県へ行く予定を立てました。(宿泊なし)
初日:高知散策
早明浦ダム
早明浦ダム(さめうらダム)は、高知県長岡郡本山町と土佐郡土佐町にまたがる、
一級河川・吉野川本流上流部に建設されたダムです。
型式は重力式コンクリートダム、高さは106.0mで、総貯水容量は3億1600万㎥、
有効貯水容量は2億8,900万㎥、利水容量は1億7300万㎥、
吉野川水系における水資源施設の中核をなす四国地方最大のダムです。
吉野川の治水と四国地方全域の利水を目的に建設され、
このダムの水運用は四国地方の経済・市民生活に極めて多大な影響を及ぼします。
このため「四国のいのち」とも呼ばれ、四国地方の心臓的な役割を果たします。
2005年(平成17年)には本山町・土佐町・大川村の推薦により
財団法人ダム水源地環境整備センターが選定する「ダム湖百選」に選ばれている。
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汗見川
汗見川は下流域から立野、坂本、沢ケ内、屋所、瓜生野、七戸の
6集落から成り立っている地域です。
エメラルドグリーンに輝く清流や、流域にみられる学術的に貴重な変成岩類、
白髪山の根下がりヒノキや白骨林など、自然の見どころが満載です。
「あせみがわ」と読まれる方が多いですが、「あせみかわ」が正しい読み方です。
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枕状溶岩
約1億年前の海底火山で噴出した溶岩が固まった、珍しい藍色の
枕状溶岩と枕状礫岩の露顕が見られ、枕状溶岩は、
高知県の天然記念物に指定されています。
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亀岩
亀の形に似た巨岩のあることから、このあたりは「亀岩の水辺」と呼ばれ、
四国の水辺八十八箇所に選ばれています。
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ゴトゴト石
大きな石なのに押せば簡単にゴトゴトと揺れる。
けれどどんなに押しても決して落ちない不思議な石です。
いつの頃からか「落ちない祈願」をするために、
願掛けに受験生などが訪れるようになりました。
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近くには山姥の滝(落差30m)もあります。
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ゴトゴト石までの道は非常に狭いため要注意です。
先日も某旅番組で取り上げられたので、人が多いかと思いましたが、
今日は、1台のみすれ違っただけでした。
駐車スペースは5台くらいだと思います。
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ひろめ市場
ひろめ市場は、高知市中心部・帯屋町(おびやまち)アーケードの西端にあります。
ここは、昼間から地元客と観光客が入り乱れて酒を酌み交わすという、
いかにも酒好きな県民が多いといわれる高知県らしい名所です。
1998年のオープン以来、いまだ客足が衰えない人気スポットです。
ひろめ市場は、郷土料理をはじめとする和洋中様々な飲食店約40、
お土産屋や洋服店などの物販店約20が軒を連ねる屋台村風商店街です。
3時ごろに行きましたが、コロナ禍とは思えないくらい人が沢山いました。
ひとまず、明神丸のカツオのたたきを塩でいただきました。
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高知県立高知城歴史博物館
2017年3月、高知城のふもとに開館。
土佐藩主山内家伝来の貴重な資料を中心に、土佐藩・高知県ゆかりの
歴史資料の数々を収蔵・展示する本格的な博物館です。
実物資料の展示を中心に、体験型展示や映像、メディア機器などで、
大人から子どもまで楽しみながら歴史を学ぶことができます。
また、展望ロビーから望む高知城の姿は必見です。
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高知城
高知城は、江戸時代に建造された天守や本丸御殿(天守と本丸御殿が両方現存しているのは高知城のみ)、
追手門等が現存し(天守と追手門が両方現存している城は全国で弘前城・丸亀城・高知城の3ヶ所)、
城跡は国の史跡に指定され、日本100名城に選定されている。
今回は入場はしなかった。
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山内神社
明治4年(1871年)創立。境内には山内容堂の銅像があり、
土佐山内家の歴代藩主と初代一豊夫人を祀る神社です。
東側には山内容堂邸跡が鷹匠公園として整備されている。
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土佐山内家宝物資料館は、高知城歴史博物館ができたため、
平成28年3月31日に閉館したそうです。
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はりまや橋
よさこい節にも歌われ、純信・お馬の恋物語でも知られるはりまや橋は、
江戸時代初期、堀川を隔ててすんでいた播磨屋と櫃屋が互いの往来のために
橋を架けたのが「はりまや橋」の名の由来といわれています。
お土産物を買って食事して帰りました。
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本日の夕食
鳥心本店でチキンナンバン定食。
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2020年9月20日(日)
2日目:愛媛松山
今日は久々にソフトボールの練習に参加のため松山へ。
ソフトボールの練習の時は必ず、寄り道して帰ります。
今日は、にちょうで豚丼を食べて、石鎚SAの椿温泉に入り、
お土産のスイーツを買って帰るいつものルーティーン。
途中、2015年に車を購入して5年、77,777km走行達成しました。
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さすがに今日は、筋肉痛で疲れました。
明日の徳島のために早めの就寝。



ワカシャチ漫遊記第3章「源平合戦の郷散策(香川県牟礼町)」2020年9月 VOL.2

2020年9月13日(日)/
源平合戦のゆかりの地・屋島を散策。
後半は、遊鶴亭展望台を下山した後、
牟礼町のゆかりの地を散策しました。
源平合戦屋島の戦い
1185年、平氏軍が本拠地としていた讃岐の国屋島へ
源義経ら源氏軍が攻め入り、屋島の戦いが起こりました。
平家物語』と平家物語の異本として知られる『源平盛衰記』で
伝説として語り継がれているのが「扇の的」と「弓流し」です。
現在、散策した場所は海ではないが、この伝説を体感できます。
義経の弓流し
義経の弓流しは、平安時代末期の源平合戦の中で有名な逸話のひとつです。
平家物語によると、この戦いで、義経は自らの弓を誤って海に流してしまいます。
義経は部下たちが止めるのを聞かず、敵兵の行き交う沖まで行き、
弓を拾ってきました。
戻った義経は「もっと強い弓ならいざ知らず、源氏の大将がこのような
弱い弓を使っていることを平氏に知られては、末代までの恥となる。
そのため命を顧みず拾いに行ったのだ。」と語り、
部下たちは感銘を受けたそうです。
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那須与一扇の的
義経によって追い詰められた平家軍は、源氏軍が意外と少ないことに気付くと
船を岸に寄せて弓矢での攻撃を開始しました。
激しい戦いでしたが、日が暮れるとともに休戦状態になります。
平家軍は小舟に美しい女性を乗せ、「竿の先の扇の的を射よ」と挑発しました。
いくら休戦中とはいえ、これを外せば源氏の名に傷がついてしまいます。
義経は腕の良い武士を探し、畠山重忠に的を射るよう命じました。
しかし重忠はこれを辞退し、代わりに下野国の武士・那須十郎を推薦します。
ところが十郎も傷が癒えないからとやはり辞退し、
弟の那須与一を推薦したのです。
抜擢された那須与一は、仕方なくこれを引き受けることとなります。
与一は馬に乗って海に入ると、弓を構えて「南無八幡大菩薩」と神仏に祈りました。
そして、射損じたら切腹する覚悟で矢を放ったのです。
皆が見守る中で放たれた矢は、見事に扇の柄を射抜きました。
空中を舞い上がった扇は春風に揺られ、その後そっと海に落ちたのです。
このシーンは『平家物語』の名場面「扇の的」として知られています。
この様子を見た平家は、敵ながら天晴れと舟の端を叩いて感嘆しました。
また、陸にいた源氏も弓の容器を叩きながら歓喜したのです。
敵同士とはいえ、その場は大いに盛り上がりました。
祈り岩
与一が弓を射る前に神仏に祈りを捧げた場所であるとされる。
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駒立岩
祈り岩の北西数10歩の川中にある巨石で、潮が引くと頭を出す。
那須与一がこの石上に馬を止めて、扇の的を射たといわれている。
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総門跡
神櫛王墓の北約200メートル、旧庵治街道の傍らにある。
寿永2年(西暦1183年)9月、平氏は安徳天皇を奉じて、
屋島の行宮(内裏)ができるまで六萬寺を行在所とした。
この時、ここに門を構えて海辺の防御に備え、また上陸の拠点とした。
総門は、その遺跡である。
源氏が平氏軍を急襲した際、ここはたちまち源氏軍の占領するところとなり、
故に里人はここを源氏の総門という。
高松藩主松平頼重(英公)は衡門(かぶきもん=冠木門)を建ててその古跡を表した。
現在の総門の南東に木戸(城戸)と呼ばれる集落がある。
そこで、ここに総門があったのではないかとする説がある。
英公は世人に広く知らせるため、今の街道筋に建てたのではないかといわれている。
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射落畠
総門の南側の細道を東に数10歩行き、
県道八栗・庵治線に突きあたる手前右側にある。
佐藤継信が義経の身代わりとなって射落とされたと伝わる場所である。
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半日の散策ではあったが、盛りだくさんの内容でした。



ワカシャチ漫遊記第3章「源平合戦の郷散策(香川県牟礼町)」2020年9月 VOL.1

2020年9月13日(日)/
今週は、天気が崩れると聞いていたが、なんとか持ち直し、
雨が降らなかったので、高松市の牟礼町を散策しました。
牟礼町
牟礼町は、高松市の東部に隣接し、北は霊峰五剣山を隔てて庵治町と接し、
また、西は屋島檀ノ浦、東は志度湾にも面しています。
屋島と五剣山に囲まれたこの地は、古くから天然の要害として重要視され、
平安末期、源氏に都を追われた平家は、屋島檀ノ浦に皇居を、
牟礼に総門を建て、都奪還のための拠点としました。
源義経の軍勢との武者の誉れを賭けた戦いは、源平合戦屋島の戦いと呼ばれ、
那須与一のエピソードを始め、町内には、数多くの源平史跡が残されています。
また、庵治石の産地として石材業が盛んで、水晶と同じ硬度を持つ庵治石を
加工するために培われてきた職人の技術は、牟礼町にアトリエを構えた
世界的な彫刻家イサム・ノグチなど、内外から高い評価を得てきました。
見どころの多い、牟礼町を半日散策しました。
義経鞍掛松
寿永四年(1185)二月平家追討の命をうけた九郎判官義経は、
源氏の精鋭を率いて阿波の勝浦より大坂峠を越えて高松(現高松町)の里に入り、
屋島を望むこの地で人馬を整え、平家の陣を攻めたと伝えられています。
其の時の大将義経がこの松に鞍をかけ休息したというのでこの名が残っています。
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菜切地蔵
神櫛王墓南方の丘の上にある。
地蔵堂の中央正面に地蔵菩薩の石彫、右側に室町時代以後と考えられる
五輪塔の変形的なもの、左側に十一面観音の石彫を安置している。
土地の人は右側の石塔を地蔵と呼んでおり、弁慶が地蔵の背中を
まな板がわりにして大長刀で菜を切ったと伝えている。
この辺一帯の集落名を今も菜切と称している。
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長刀泉
現状は石組みの井戸跡としてあるもので、立地において「菜切地蔵」、
「瓜生が丘」の周辺に位置することから、源氏軍の陣跡に比定されている。
また、『三代物語』において、「武蔵坊弁慶屓尖刀鐓(なぎなたのいしづき)
を以って、井を穿つ、しばらくして清水湧く。云々」とあり、
弁慶の武勇とともに、海辺の陣にあって炊事用水に苦慮した様子を伝えている。
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神櫛王(かみくしおう)墓
神櫛皇子(生没年不詳)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族。
『日本書紀』では「神櫛皇子」、『古事記』では「神櫛王」、
他文献では「神櫛別命」「神櫛命」「五十香彦命」とも表記される。
第12代景行天皇の皇子である。
墓は、宮内庁により香川県高松市牟礼町牟礼の神櫛王墓に治定されている。
宮内庁上の形式は上円下方墳。
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菊王丸の墓
源平合戦のとき、源氏の勇将佐藤継信は、大将義経の身代わりとして
能登守教経の強弓に倒れました。
そのとき教経に仕えていた菊王丸は、継信に駆けより首を切り落とそうとしましたが、
そうはさせまいとする継信の弟忠信の弓によって倒されました。
菊王丸は、教経に抱きかかえられ、自らの軍船に帰りましたが、息をひきとりました。
教経は、菊王丸をあわれんでこの地に葬ったと伝えられています。
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安徳天皇社
寿永2(1183)年、平宗盛は、安徳天皇を奉じて一の谷から屋島に来ました。
ここは、檀の浦の入江にのぞみ、後ろに険しい屋島の峰、
東に八栗の山をひかえ、戦には地の利を得たところであったので宗盛は、
行宮を建て将士の陣営をつくりました。
安徳天皇社のあたりが行宮跡であったといわれています。
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佐藤継信の墓
継信は寿永4年(1185)2月の源平屋島合戦のとき、
平家の武将能登の守教経の強弓により、大将義経の命危ういとみて、
義経の矢面に立ち、身代わりとなって討死しました。
この継信の忠死を広く世間に知らせるために
寛永20年(1643)初代高松藩主松平頼重公が、
合戦当時に義経が丁寧に葬ったあとを受けて、
屋島寺へ続くこの遍路道の傍に建立したものです。
また、墓は牟礼町王墓にも残っています。
遍路道の佐藤継信の墓
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神櫛王墓横の佐藤継信の墓・大夫黒の墓
大夫黒(たいふくろ)は、源義経が一ノ谷の戦いの鵯越の逆落しで乗馬した愛馬。
『吾妻鏡』によると、後白河院の厩にいた名馬で、源義経が賜り、
戦場へ出る度に乗馬していたのだという。
屋島の戦いで佐藤継信が討死すると、義経は供養してくれた僧へ礼として贈り、
死後は継信のそばに葬られたのだと伝えられている。
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長崎の鼻・長崎鼻砲台跡
高松市の屋島最北端、瀬戸内海に突き出した岬が長崎の鼻。
テーブル状になった典型的なメサ地形の屋島は、古代に屋嶋城(やしまのき)が築かれ、
源平合戦では平家の水軍の拠点となりました。
嘉永6年(1853年)のペリー以来、外国船の監視と防備の必要性が高まり、
讃岐国でも、幕末の文久3年(1863年)、幕府の命を受けて11代高松藩主(最後の藩主)
松平頼聰(まつだいらよりとし=将軍・徳川慶喜とは従兄弟)が
瀬戸内と高松湊の防備のため、長崎の鼻に砲台を築いています。
現在、砲台の上段部分が駐車場になっており、中段、下段の砲台部分へは下ることに。
長崎鼻台場に備えられた大砲は、二十六斤砲と十二斤砲が合計6門でした。
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屋島
屋島は、もとは高松平野から隔たれた島でした。
屋島の山頂部は平坦で、その端は讃岐岩質安山岩
(古銅輝石・普通輝石安山岩)の急崖に取り囲まれたメサです。
屋島は山頂部の平坦面が急崖によって囲まれたメサとして、
昭和 9 年に国の天然記念物に指定されました。
今日は、屋島の北嶺登山道から820mの遊鶴亭まで歩いてみました。
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屋島洞窟
屋島の北嶺に分布する層厚約 20mの火山礫凝灰岩および凝
灰質砂岩は、屋島の黒石と呼ばれ、豊島石と同じ材質のため、
江戸時代から石材として採掘されてきました。凝灰岩層の上方
には讃岐岩質安山岩が急崖をつくっているため、横穴を掘って
採掘し、その穴丁場が洞窟となって残っています。
登山開始から440mの地点に屋島洞窟がありました。
まだまだ急登が続きます。
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遊鶴亭
屋島北嶺にある展望台で、獅子の霊巌、談古嶺と並ぶ
屋島三大展望台の一つが屋島北嶺の遊鶴亭展望台です。
大正12年、香淳皇后が命名したもの。
テーブルマウンテン(メサ地形)となった屋島台地の北端に位置するため、
瀬戸内海方面の眺望が広がります。
遊鶴亭展望台からは、ぐるり320度を見渡すことが可能で、
瀬戸内海に浮かぶ島々や、源平合戦で有名な「船隠し」も
俯瞰で見ることができます。
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高松駅方面
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男木島・女木島方面
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小豆島・庵治方面
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猛暑続きで、連日35度を超えていましたが、
今日は30度前後と比較的涼しくなり活動しやすくなってきた。
後半へ続く。

ワカシャチ漫遊記第3章「香川県島めぐり 本島」2020年8月

2020年8月29日(土)
香川県丸亀市本島へ行ってきました。
本島
本島(ほんじま)は、香川県丸亀市に属する島です。
塩飽(しわく)諸島の中心で、四人の年寄が勤番で政務を行った
塩飽勤番所、敵襲からの防御を考え細い路地が入り組んだ
古い町並みが残るかつての塩飽水軍の本拠「笠島」などが見られる。
今も塩飽諸島の中で最も人口が多い。
塩飽諸島
塩飽諸島(しわくしょとう)は、瀬戸内海に浮かぶ諸島。
塩飽島(しわくじま)とも呼ばれ、瀬戸内海の中でも、
岡山県と香川県に挟まれた西備讃瀬戸に浮かぶ大小合わせて
28の島々から成り、名の由来は「塩焼く」とも「潮湧く」とも言う。
戦国時代には塩飽水軍(しわくすいぐん)が活躍し、
江戸時代は人名(にんみょう)による自治が行われたことで有名。
人名制(にんみょうせい)
16世紀後半、信長が航行特権を与えたのを契機に
豊臣秀吉から検地高1250石の領知を認められた人名は
塩飽島中船方650人のことで、その数は本島の泊、笠島浦をはじめ
塩飽諸島の20の浦々に90から7の範囲で配分されていた。
大名でも小名でもない船方衆に1250石を領知
租税を免じ、自治を許す破格の待遇だったことがよくわかります。
江戸時代、人名は徳川幕府の御用船方として船役・加子(かこ)役を
負担する代りに島の領知権を安堵され,周辺海域の漁場の権益も保証された。
本島へのアクセス
丸亀港より、本島汽船フェリーで35分。
10:40発のフェリーで本島へわたりました。(11:15着)
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真夏の炎天下でしたが、歩いて散策することにしました。
本島港周辺
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本島パークセンター
本島の観光案内所で喫茶店も併設されています。
本島の情報を収集できます。
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日本遺産
日本遺産とは、文化庁が地域の歴史的魅力や特色を通じて
文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産」として認定し
地域活性化を目指す取組です。
「知ってる!? 悠久の時が流れる石の島
~海を越え,日本の礎を築いた せとうち備讃諸島~」
として笠岡市・丸亀市・小豆島町・土庄町の2市2町に
日本遺産認定されました。
〇ストーリーの概要
瀬戸内備讃諸島の花崗岩と石切り技術は、長きにわたり日本の建築文化を支えてきた。
日本の近代化を象徴する日本銀行本店本館などの西洋建築
また古くは近世城郭の代表である大坂城の石垣など
日本のランドマークとなる建造物が、ここから切り出された石で築かれている。
島々には、400年にわたって巨石を切り、加工し、海を通じて運び
石と共に生きてきた人たちの希有な産業文化が息づいている。
世紀を越えて石を切り出した丁場(ちょうば)は
独特の壮観な景観を形成し、船を操り巨石を運んだ民は
富と迷路のような集落を遺した。
今なお、石にまつわる信仰や生活文化、芸能が継承されている。
本島では高無坊山の石切場、年寄の墓、木烏神社鳥居
勤番所や笠島まち並みが対象です。
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Vertrek「出航」/石井章
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塩飽勤番所
江⼾時代、塩飽領を統治する「年寄」が交代で政務を執る役所として建築された建物です。
「勤番所」と呼ばれる建物は全国でもここだけで、国の史跡に指定されています。
建物内には、織⽥信⻑・豊⾂秀吉・徳川家康らが、その当時領地を認めた朱印状など
塩飽⽔軍に関わる史料が展⽰されています。
また咸臨丸の乗組員には多く塩飽諸島出身者がおり
その乗組員の遺品や咸臨丸の模型なども展示されている。
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受付のおばさんから、冷たいお茶の接待を受けました。
吉田邸
塩飽大工が最後に作った家とされる「吉田邸」。
国の重要伝統的建造物群保存地区である笠島の古い町並みの中にたたずむ邸宅は
細部に塩飽大工の技が垣間見られるぜいたくな造り。
本島のかつての繁栄をしのぶことができる。
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入縁側のすぐ左にあるトイレは陶磁器製。(有田焼)
ここは来客用のトイレであり、通常使うことは無かったそうです。
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吉田邸が全国的に有名なったのが、テレビ東京の「なんでも鑑定団」。
吉田さんが所有していた江戸時代の人気絵師・伊藤若冲(1716〜1800年)の
墨画が本物であるという鑑定を受け、評価額1500万円が示されたのです。
展示はレプリカですが、1年に何度かは本物を展示するそうです。
吉田さんが家の中を紹介してくれました。
家の床の間にレプリカの掛け軸があります。
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墨絵のタオル2枚購入。
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吾亦紅(われもこう)
古い町並みの古民家カフェ。
コロナ禍で人数制限をして対応されていた。
予約もせずに無理やり入れてもらった。
食後、奥さんと話ができ、本島の歴史などを教えてもらう。
まだまだ島のPRが足りないと嘆いておられた。
今日、島を観光しているが、観光客はほかに1組いたかどうかで
午後からは、ほかの観光客に会うことはなかった。
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昼食後は笠島集落散策
笠島集落
国選定の伝統的建造物群保存地区。
江戸末期から戦前にかけての建物が残る。
迷路のような町並みに、千本格子の出窓を配した家々や
しっくい塗りの白壁が連なり、塩飽大工の技術力の高さを随所で感じさせる。
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海岸に出て、海岸線を歩き、瀬戸大橋を見る。
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「水の下の空」/アレクサンドル・ポノマリョフ
遠見山展望台から瀬戸大橋を見る。
標高110メートルの遠見山頂上までの散策遊歩道からは
備讃瀬戸に浮かぶ多島美を望むことができる。
また頂上からの眺望は本島一であり瀬戸大橋の全景を見渡せる
絶好のポイントとなっている。
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長徳寺
平安時代の⻑徳年間(995〜998年)に開かれたと伝わる寺。
境内にある樹齢450年余のモッコクの⽊は
樹⾼約9m、枝張り14〜15mと太い枝が四⽅に広がっており
モッコクの中でも珍しい樹形をしています。
⾹川県の保存⽊に指定されています。
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17:10本島港発フェリーで丸亀に戻る。
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炎天下の観光終わり。

ワカシャチ漫遊記第3章「崇徳天皇ゆかりの地散策(坂出市)」2020年8月 VOL.2

2020年8月23日(日)
崇徳天皇ゆかりの地巡り2日目。
今日は朝から精力的にゆかりの地を訪ねました。
高家神社
崇徳上皇崩御後、白峰山に遺体を運ぶ途中高屋村阿気に棺をおろして休めた時に
急に雨風雷鳴が起こり棺をおいた六角の石に少し血がこぼれたといわれています。
葬祭後、里の人は、当社に崇徳上皇を合祀し、六角の石も当社に納めました。
それが当社が「血の宮」と言われている理由です。
当社の御祭神は、天道根命、大鞆和気尊(応神天皇)
待賢門院(上皇の生母)そして崇徳上皇。
崇徳院の御霊はその昔、早良親王、菅原道真とともに大変恐れられていました。
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青海神社
崇徳上皇の遺体は白峯山で荼毘に付されたのであるが、さらにその時に怪異が起こった。
今度は荼毘の時に出た煙が、山のふもとのある一ヶ所に溜まって動かなくなった。
一説によると、その煙は輪を成し、その中に天皇尊号の文字が現れたとも伝わっている。
また煙が消えた場所には上皇のお気に入りの玉があったともされる。
その後、この地にも崇徳上皇の霊を慰める青海神社が建立され
(煙の宮)と呼ばれることになる(玉は社宝として保管されているらしい)。
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西行法師の道
崇徳上皇が讃岐で没して3年後に西行法師が御陵を詣でたとされる
青海神社から白峯御陵までのみちのり1.34キロを「西行法師の道」として平成15年に整備。
歌碑88基と石灯籠93基がある。
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松山の津
保元元年(1156年)7月、保元の乱に敗れた崇徳上皇は
最初に松山の津というところに着船したと伝えられています。
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長命寺跡
長命寺はその昔、450メートル四方の境内地に仏閣が並ぶ寺院であったとされ
長曽我部襲来の際の兵火により消失したと伝えられています。
雲井御所はこの長命寺であったと記され、崇徳上皇の仮御所として
自邸では不敬があってはならないと考えた綾高遠が
すぐ傍の長命寺に移されたのだと伝えています。
上皇は、この長命寺境内に近くの武士を集めて射芸を楽しまれたり
歌を詠まれたりして過ごされました。
現在は、大正六年に建立された長命寺跡碑が、田の中に一本だけまっすぐ建っていて
かつての長命寺を偲ぶよすがとなっています。
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白峰宮(しろみねぐう)
崇徳上皇を祀るこの神社は、上皇の崩御の後に二条天皇によって
社殿が建てられたと伝えられています。
上皇の遺体が野澤井の水に浸されてから白峰山にて荼毘に付されるまでの間
毎夜、付近の霊木に神光があったそうで、当時の社殿はその場所に
設けられていたそうです。
このため、「明の宮(あかりのみや)」とも呼ばれるようになったそうです。
上皇崩御の後、高倉天皇は「讃岐院」と呼ばれていた上皇に「崇徳天皇」と
追謚(ついし)され、稲税を納めたと伝えられています。
また源頼朝も稲税を納めて、下乗の立礼を建てたとされますが
残念ながら当時の社殿は天正年間に焼失してしまいました。
現在の社殿はその後に再建されたもので、今も周辺の人々から手厚く祀られ
「天皇さん」の名称で親しまれています。
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鼓岡神社
崇徳上皇が御所とされた木の丸殿があった場所であり
崩御の後、小さな祠を建てて祀られたものです。
神社の傍らに建つ擬古堂(ぎこどう)は、崇徳上皇の行在所址にその御殿
木ノ 丸殿を模して大正2年に建てられたものです。 
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擬古堂
保元三年(1158年)ごろ、崇徳上皇は雲井御所から府中の鼓岡の木ノ丸殿に移られました。
木ノ丸殿とは、木の丸太で造った御所といった意味合いで、
御所としては粗末な造りではなかったかと考えられています。
大正二年に崇徳上皇の750年祭に合わせて、鼓岡神社の石段を登った
右手に記念建造物が建設されました。
かつての木ノ丸殿を偲ぶといったことから、擬古堂と呼ばれ、屋根など古風な造りの外観から
少しでも当時を思い浮かべることができるように造られています。
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ほととぎす塚
鼓岡神社の石段の右手には小さな五輪塔が2つほどあります。
これは上皇が鼓岡で過ごされていたころ、ある日ホトトギスの声を聞かれて
都を深く思い出され、 『なけば聞く 聞けば都の恋しさに この里過ぎよ 山ほととぎす』
とお詠みになられたところ、これを聞いたホトトギスは
自らさえずるのをやめたという言い伝えによるものです。
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内裏泉
近代の大干ばつにも枯れなかったという霊泉で、崇徳上皇が木ノ丸殿に住んでいた際
飲料用の井戸として使われたと伝えられています。
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菊塚
崇徳上皇が雲井御所で過ごされていたときに、
綾の局との間に皇子と皇女が誕生しました。
上皇はこの皇子を顕末(あきすえ)と名付けられ、菊の紋をつけて綾の局の父
綾高遠に賜り、綾家の跡継ぎにされたと伝えられています。
この皇子の墓は、府中町鼓岡の北にあり、菊塚の名称で呼ばれています。
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わん塚
鼓岡神社の北方、菊塚の北東の畑の中に、大きい一枚の岩に
「(わん)塚」と刻まれた自然石が残っており、崇徳上皇が使用された
食器を埋めた場所との由来があります。
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姫塚
雲井御所にお住まいになられたころ、崇徳上皇を気付かった綾高遠は
何かと不便があってはならないと、自らの娘である綾の局(あやのつぼね)に
上皇の身の回りの世話をするように命じたと伝えられています。
上皇と綾の局との間に皇子と皇女が誕生しましたが、幼くして亡くなられたと伝えられます。
この姫塚はその皇女の墓であるとされています。
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柳田
JR予讃線沿いに,小さな石碑の建っているところがあります。
ここは柳田といわれ、崇徳上皇が殺害された所だといわれています。
崇徳上皇は長寛二年に崩御しますが、その死因について
『保元物語』や『平家物語』等には特に記述がありません。
ただし、江戸時代の地誌である『讃州府誌(さんしゅうふし)』には二条天皇が
上皇の暗殺を命じ、三木近安(みきちかやす)という武士が鼓岡を
襲撃したということが記されています。
近安の襲撃を逃れた上皇は、大きな柳の樹の穴に隠れましたが
その隠れた姿が池の水面に映り、見つかって殺害されたとされています。
その後、この地に柳を植えても、枯れるばかりで決して育たなったそうです。
現在は、草が沢山あり、碑を見つけることができなかった。
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坂出市には、崇徳天皇ゆかりの地が沢山あったが
かなり荒廃している場所・看板も多くあった。
もっと、しっかり、管理してPRできれば
とても興味深く良い観光資源となるはずです。
以下の2カ所は、崇徳天皇のゆかりの地ではないが、
同じエリアにある、押さえておきたいスポットです。
讃岐国分跡
坂出市にはかつて讃岐国の国府(国庁)があったとされています。
詳しい場所はいまだ分かっていませんが、,府中町の本村地区に
”聖堂”や”正倉””印鑰(いんやく)””垣ノ内(かきのうち)”といった
地名が残されてることなどから、この付近にあったと想定されています。
国府は鎌倉時代にはその機能を失ってしまいましたが、讃岐国司として任命され
この地を訪れた貴族の中に、学問の神様として知られる菅原道真(すがわらのみちざね)がいます。
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開法寺塔跡
出土の瓦や塔の様式から、白鳳時代の寺跡と考えられ、県下でも最古の寺の一つとされています。
昭和45年に鐘つき堂と伝承のあった当地の調査が実施され、創建当初の礎石や塔基壇が発見されて
県下で最もよく旧態を残している塔址として県指定となっています。
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坂出市は、讃岐国の中心地であったことがよく分かった。
(国府は、奈良時代に全国の国ごとに置かれた役所で、平安時代末期には廃絶する)

ワカシャチ漫遊記第3章「崇徳天皇ゆかりの地散策(坂出市)」2020年8月 VOL.1

2020年8月22日(土)23日(日)
香川県坂出市の崇徳上皇ゆかりの地を散策しました。
県外移動自粛中のコロナ禍の中、8月は県内中心の散策となりました。
崇徳天皇
崇徳天皇(すとくてんのう)は日本の第75代天皇で、鳥羽天皇の第一皇子。
平安時代末期の1156年(保元元年)に貴族の内部抗争である保元の乱で
後白河天皇に敗れ、讃岐に配流後は讃岐院とも呼ばれた。
讃岐に流されたのちの崇徳天皇
保元の乱に敗れた崇徳上皇は、讃岐へ流され、林田の雲井御所(くもいごしょ)で
約三年過ごした後、国府のすぐ近くの鼓岡(つづみがおか)にある
木ノ丸殿(このまるでん)に移られました。
木ノ丸殿での上皇は、一日中部屋にこもり、書物を読んだりお経を唱えたりしていましたが
一心に毎日お経を写し始め、三年もかかり多数の写経をし、下記の和歌を添え京都に送りました。
「浜千鳥 跡は都へ通えども 身は松山に 音をのみぞなく」
崇徳上皇としては、後の世のためを思い一心に写したお経だったため
讃岐のような田舎へ置いておくのがつらく、都に近い八幡山か高野山か
もし許しが得られれば鳥羽法皇の御陵に納めたいと思っていました。
しかし、京都の朝廷は、罪人の写したお経はよいお経のはずがないと受け取らず
崇徳上皇のもとに送り返してしまいました。
崇徳上皇はたいへん悲しまれたと云われています。
崇徳上皇は、権力の座を賭けた政争「保元の乱」の首謀者として
讃岐国(香川県)に流され、この地で亡くなった悲運の帝です。
百人一首にも選ばれるほどの和歌の才能を持ちながら波乱の一生を終え
のちに怨霊になって平清盛らを悩ませたと言われる崇徳上皇ゆかりの地を訪ねます。
白峯御陵
1164年8月26日、46歳で崩御された崇徳上皇は、遺体を八十場の泉に浸さた後
9月16日に白峰山で荼毘に付され、その場に葬られました。
お墓である御陵は、積み石の方墳であったといわれています。
都から遠く離れた地の御陵であったため、江戸時代には荒廃していたといわれています。
初代高松藩主松平頼重(まつだいらよりしげ)、五代頼恭(よりたか)、
十一代頼聡(よりとし)らにより、修復が重ねられ、参拝口を現在の南面に改めるなど
今日みられるように整備されました。
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勅額門
頓証寺の随身門であり、左右に保元の乱で崇徳天皇を守った
源為義・為朝父子の武将像が置かれていました。
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頓証寺殿
崇徳上皇の霊廟であり、建久2年(1191)遠江阿闍利章実が鼓岡の行在所を移して
上皇の自画像を奉安し、頓証菩提を弔ったのにはじまるといわれています。
現在の建物は延宝8年(1680)高松藩主松平頼重・頼常が再建したものです。
拝殿は檜皮葺き・前面蔀戸・庭前に橘と桜を植えて、御所の建物を真似ています。
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西行法師石像
保元物語によると、仁安3年(1168)白峯御陵(崇徳院)の御陵に詣でた西行は
陵前に座ってお経を繰り返し読み、「よしや君むかしの玉の床とても
かからんのちは何にかはせん」の歌を奉ったと云います。
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雲井御所跡
保元の乱に敗れ、讃岐の松山の津へ着船された当時の仮の御所。
上皇の御所がまだ出来ていなかったため、国府に勤める当地の庁官であった
綾高遠(あやのたかとお)の邸宅を仮の御所としたと伝えられています。
この最初の御所について、『保元物語』は、松山の御堂に入られたと伝え
『白峯寺縁起』には、上皇は高遠の御堂にて三年を過ごされたと記されています。
この仮の御所で毎日を過ごされた上皇が詠まれた歌に
「ここもまた あらぬ雲井となりにけり 空行く月の影にまかせて」というものがあります。
この歌にちなんで雲井御所と呼ばれるようになったといわれています。
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野澤井
1164年(長寛2年)8月26日、讃岐に流されて8年、崇徳上皇は鼓岡で崩御されます。
このことは直ちに都に伝えられ、上皇の遺体の処置について朝廷の指示を仰ぐこととなりました。
夏の暑い時期で、都からの指示を待つ間、古来から霊水と伝えられる野澤井の清水に浸して
遺体が腐敗することを避けたと伝えられています。
この野澤井とは、今の西庄町八十場の清水付近の古い呼び名です。
この清水は、坂出に伝わる悪魚退治の伝説に登場する霊水でもあり
悪魚の毒気に倒れた八十八人の兵士がこの水を飲んだことで蘇生したため
弥蘇場(やそば)の水とも呼ばれます。(現在は八十場)
今も昔と同様、夏に涼しい場所であり、多くの人が涼を求めて賑わっています。
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ということで、我々も、涼を求め八十場に来ました。
八十八ところてん清水屋(きよみずや)
創業200年の老舗でところてん購入。
時間が遅かったため、テイクアウトのみでした。
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<参考:崇徳上皇代表作(百人一首)>
「瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ」
意:滝の水は岩にぶつかると二つに割れるが、すぐにまた一つになるので、
現世では障害があって結ばれなかった恋人たちも、来世では結ばれましょう。

ワカシャチ漫遊記第3章「香川県島めぐり 豊島散策」2020年8月 VOL.2

2020年8月8日豊島午後の部
島キッチンで食事後、14時予約の豊島美術館へ向かいました。
島キッチン方は、下り坂を約20分歩きました。
このあたりの民家の石垣は、特徴があります。
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この道の先に、紺碧の海と空が広がる景色が・・・
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今日は残念ながら、碧い海と青い空は見ることができなかった。
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豊島の棚田
2010年、豊島美術館の開館と瀬戸内国際芸術祭の開催に合わせ、
豊島の住民の方や行政、そして美術館を運営する
公益財団法人福武財団による棚田の復元が行われました。
水路が壊れていたり草木の根がはびこっていたりと、
原形が崩れた場所が多くあり、完全なもとの姿には戻りませんでしたが、
復元された棚田は、その土の状態に合わせて管理されています。
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13:50 豊島美術館到着
豊島美術館
瀬戸内海を望む豊島唐櫃(からと)の小高い丘に建設された
アーティスト・内藤礼と建築家・西沢立衛による「豊島美術館」。
休耕田となっていた棚田を地元住民とともに再生させ、その広大な敷地の一角に、
水滴のような形をした建物が据えられました。
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広さ40×60m、最高高さ4.5mの空間に柱が1本もないコンクリート・シェル構造で、
天井にある2箇所の開口部から、周囲の風、音、光を内部に直接取り込み、
自然と建物が呼応する有機的な空間です。
内部空間では、一日を通して「泉」が誕生します。
その風景は、季節の移り変わりや時間の流れとともに、無限の表情を伝えます。
水玉が生まれ、アメーバのように動き、結合し大きな泉になります。
今までの美術館とは、全く別物でした。
14:40 バスで唐櫃港へ
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心臓音のアーカイブ
クリスチャン・ボルタンスキーは人々が生きた証として、
心臓音を収集するプロジェクトを2008年から展開しています。
「心臓音のアーカイブ」は、これまで氏が集めた世界中の
人々の心臓音を恒久的に保存し、それらの心臓音を
聴くことができる小さな美術館です。
自分の心臓音をここで採録することもできます。
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勝者はいない マルチ・バスケットボール
思い思いのルールで楽しむバスケットボール。
島の人や来場者たちがバスケットボールを楽しめる場を創出。
リングがたくさんあるボードで、思い思いのルールで楽しめる。
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全行程終了し、唐櫃港へ戻ってきました。
ここから、16:50のバスで家浦港へ戻り船で高松へ行く予定でしたが、
16:20小豆島行きのフェリーが到着するので、急遽ルートを変更し、
小豆島土庄港へ行きました。
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このフェリーは、岡山の宇野港より豊島を経由し小豆島に向かう船です。
小豆島までは30分で到着。
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土庄港でフェリーを乗り換え、高松へ戻りました。
実は、少し時間はかかりましたが、のんびり大きな船で帰れ大満足。
料金も、大人1,190円/人と安かった。
唐櫃港-土庄港 大人490円/人
土庄港-高松港 大人700円/人
17:30 土庄港発
18:35 高松港着
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ワカシャチ漫遊記第3章「香川県島めぐり 豊島散策」2020年8月 VOL.1

2020年8月8日(土)
コロナ禍、第2波到来中、県外移動は自粛し
豊島(てしま)へ行ってきました。
豊島(てしま)
豊島(てしま)は 瀬戸内海の東部、小豆島の西方3.7kmに位置する島です。
直島諸島に属し、香川県小豆郡土庄町に属します。
豊島は、面積14.5km²、人口約800人の島で、豊島家浦(てしまいえうら)
豊島唐櫃(てしまからと)、豊島甲生(てしまこう)の3つがある。
今回、島内は徒歩とバスで、家浦・唐櫃を散策しました。
9:30: 高松港より家浦港へ高速船で向かいます。(コロナ禍臨時ダイヤ)
片道1,350円 大人
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予想していた船より、かなり小さな船でした。
10:20: 豊島家浦港へ到着
島内の移動は、ほとんどの人がレンタサイクルを利用されていた。
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豊島横尾館
家浦港より徒歩10分 大人520円/人
アーティスト・横尾忠則と、建築家・永山祐子による「豊島横尾館」は、
豊島の玄関口となる港に面した家浦地区の、集落にある古い民家を
改修してつくられました。(2013年7月20日開館)
展示空間は、既存の建物の配置を生かして「母屋」「倉」「納屋」で構成され、
平面作品11点を展示しています。
また、石庭と池、円筒状の塔にはインスタレーションが展開され、
作品空間は敷地全域にシンボリックな拡がりをみせます。
その空間は、生と死を同時に想起させる哲学的な場となり、
さらに、建物には光や色をコントロールする色ガラスを用いて、
豊島の光や風や色、作品の見え方をさまざまに変容させて、
空間体験をコラージュのようにつなげます。
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針工場
豊島横尾館より徒歩10分 大人520円/人
豊島の家浦岡集落にて、平成を迎える手前で閉じられたメリヤス針の製造工場跡。
そこに設置されたのは、宇和島の造船所にて一度も本来の役目を果たすことなく
約30年間放置されていた、鯛網漁船の船体用の木型です。
別々の記憶を背負った2つの存在が、アーティスト大竹伸朗を通して重ね合わせられ、
新たな磁場となって作品空間を形成しています。
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一旦、家浦港へ戻りバスで豊島唐櫃へ向かいます。
途中の道には、オリーブや栗が身を着けていました。
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11:50 家浦港をバスで出発。12:01 清水前下車。
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唐櫃の清水
小豆島西方の豊島にある生活用の水場。
台形平面を有し、雛壇状の花崗岩布積で壁面をつくる。
湧水を上部の貯水槽から3連小水槽、大水槽に流し、各水槽に異なる用途を充てる。
余水は脇の水路から町の下水路に通ずる。
往時からの生活環境を物語る貴重な建造物。
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ピピロッティ・リスト
蔵にチューリップや風景などカラフルな映像を投影する空間展示。
作品名:あなたの最初の色(私の頭の中の解-私の胃の中の溶液)
アーティスト:ピピロッティ・リスト
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ストームハウス
大人300円/人
唐櫃岡の実際に使われていた民家にて、嵐がやってきてから
過ぎ去るまでの約10分間を体感できる作品です。
激しさ増す雨と、鳴り響く稲妻、木の影のざわめき、
吹き荒れる突風と室内に訪れる変化によって鑑賞者を
非日常世界に連れ込んでくれます。
アーティスト:ジャネット・カーディフ& ジョージ・ビュレス・ミラー
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遠い昔に、田舎の実家で、こんなことあったな・・・
という記憶を蘇らせてくれる場所でした。
島キッチン
瀬戸内国際芸術祭2010に、集落の空家を建築家の安部良さんが設計・再生した、
「食とアート」で人々をつなぐ出会いの場です。
島キッチンセット 1,620円 キーマカレーセット 1,296円、季節限定ドリンク 540円を
注文し、縁側でいただきました。
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8月8日Vol.2 午後へ続く

ワカシャチ漫遊記第3章「天空の鳥居」2020年5月

2020年5月28日(木)
世の中はコロナ自粛ムードの中、最近「天空の鳥居」で有名になっている
香川県善通寺市の高見神社へ行ってきました。
平日ですが、会社がシフト勤務となり休みでした。
平日と、自粛期間で観光客はまばら。
前回、断念した時は、車が渋滞し、山に上がれない状態でしたから、
比較にならないほど、余裕の観光でした。
多いときはシャトルバスも運行される人気の場所です。
現在、土日やGW・お盆期間など運行されています。
高見神社
讃岐に二十四ある延喜式内社の一つで、古くから格式ある神社です。
標高404メートルの稲積山の頂上に本宮があるため、
「稲積神社(いなづみじんじゃ)」「稲積さん」ともよばれており、
本宮からは観音寺市内と美しい瀬戸内海が一望できます。
本宮の鳥居は「天空の鳥居」として知られ、2018年には四国八十八景にも選出されました。
まずは、頂上の本宮へいきました。
車は離合できない場所もあり、注意しながら1本道を登ります。
最後の分かれ道(標識は要所にあり迷うことはありません)
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駐車場は、15台から20台くらいしかスペースがないため、土日は混雑必死です。
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ルートを看板で確認し登っていきます。
途中にある、仁尾方面の展望台からの景色もきれいです。
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駐車場から約150m、10分で高見神社本宮に到着、まずはお参りしました。
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そいて、天空の鳥居からの絶景です。
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動画はユーチューブにもアップしています。
https://www.youtube.com/watch?v=PJzIaFC9SaI
外宮にお参り
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外宮から本宮の鳥居が見えます。
歩くと約1時間かかるようです。
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観音寺に来たので、銭形砂絵を見て帰りました。
観音寺市といえば「寛永通宝」と言われるほど、
市内で一番人気がある観光スポットです。
銭形砂絵
有明浜の白砂に描かれたこの砂絵。
大きさは東西122m、南北90m、周囲345m。
一般には、寛永10年(1633年)に藩主、生駒高俊公を歓迎するために
一夜にして作られたと言われており、
この砂絵を見れば健康で長生きし、
お金に不自由しないと伝えられています。
グリーンやゴールドにライトアップされ、夜もきれい。
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ワカシャチ漫遊記第3章「淡路島 桜と菜の花 花見」2020年4月

2020年4月4日(土)
コロナウイルスで日本全体が外出自粛ムードの中、
三密:3つの密(密閉空間、密集場所、密接場面)を避けるように
不要不急ではあったが、淡路島へ行ってきました。
兵庫県立淡路島公園
兵庫県立淡路島公園では、淡路島で最大級となる約900本の
ソメイヨシノとサトザクラが植えられています。
満開の桜を、満喫できました。
公園内ではコロナウイルスの関係で、2m感覚で、隣の人と近づかないような配慮もありました。
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ニジゲンノモリ
淡路島公園内にある施設。
画面や紙面を前に、一人屋内で楽しむことが多いアニメや漫画にゲーム。
これら”二次元コンテンツ”の世界観を、五感を使い、
体を動かしながら体験できる、純日本産のアニメパークです。
”画面や紙面が森全体に広がる場所”だと思ってください。
最新テクノロジーを使用し、まるで作品の中へと迷い込んだ
錯覚を起こす幻想的なアトラクションや、二次元コンテンツの世界観を
踏襲したアクティビティなど、アニメをはじめとしたクールジャパンコンテンツへ
”新しい価値”を付加した、ここにしかない”二次元体験”をお届けします。
クレヨンしんちゃんアドベンチャーパークには沢山のしんちゃんがいました。
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本日のランチ:淡路バーベキューガーデンsafsaf
食材を厳選して作られた「あわじ大地のバーガー」と今が旬のイチゴを食べる。
イチゴはヘタのところまで赤く、甘かった。
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あわじ花さじき
「あわじ花さじき」は花の島にふさわしい花の名所として、
兵庫県が平成10年4月から設置しています。
淡路島北部丘陵地域の頂上部、標高298~235mの海に向かって
なだらかに広がる高原に一面の花畑が広がります。(面積約15ha)
明石海峡・大阪湾を背景に花の大パノラマが展開し、
季節により変わる愛らしい花々が夢の世界に誘います。
眼下に広がる花のジュウタンを楽しめる、極上の見物席として、
『あわじ花さじき』と命名されました。
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千年一酒造
山海の恵み豊かな淡路の東浦で酒造りを続けて140年、
千年一酒造は、造り酒屋と呼ぶにふさわしい小さな酒蔵で
昔ながらの手造りにこだわり、誠実な酒造りを続けている。
酒蔵見学は、コロナウイルスの関係でやっていなかった。
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世界平和大観音像
平和観音寺(へいわかんのんじ)は、兵庫県淡路市釜口にあった寺院・博物館。
正式名称は「豊清山平和観音寺」。
高さ100メートルの「世界平和大観音像」は、建造当時は世界最大の像として話題となるも、
2006年2月26日に閉館し廃墟となっている。
兵庫県淡路市の巨大観音像(高さ約100メートル)について、
財務省近畿財務局は4月1日、周辺施設と共に解体撤去すると発表した。
像は所有者が死亡した2006年以降は閉鎖・放置され、
一部がはがれるなど劣化が著しく、地域住民から不安視されていた。
22年度中に解体撤去する計画で、費用などは未定。 見納めとなった。
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たこせんべいの里
名古屋でよく行っていたえびせんべいの里によく似たたこせんべいの里に行きました。
試食と無料コーヒーが売りの店で、試食中止のお知らせが出ていました。
「新型ウイルス感染予防の為、しばらくの間試食提供を休止させていただくことになりました。」
残念でしたがしっかりお買い物しました。
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洲本城跡
洲本城は三好氏の重臣・安宅治興によって築かれた城で、
羽柴秀吉による淡路討伐の後、仙石秀久に与えられました。
その後、脇坂安治が城主のときに天守が築かれましたが、
移封先の大洲城へ移築したという説があります。
また安治は石垣を改修して「登り石垣」を築きましたが、
これは日本全国でも三箇所にしか残っていない珍しいものです
(ほかのふたつは松山城と彦根城)。
遺構としてはとりわけ石垣の保存状態がよく、
城址のあちこちで見ることができます。
現在は本丸跡に模擬天守が建てられており、
これは江戸時代の天守を復元したものではありませんが、
日本最古の鉄筋コンクリート製模擬天守として知られています。
予想通り、桜が満開でした。
お城と桜はよく似合います。
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本日の夕食:淡路ごちそう館御食国
淡路牛極上バラと淡路玉ねぎを煮込んだ絶品牛丼、
淡路島牛丼をいただきました。
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最近月一で淡路島に来ています。
マイブームで、淡路島が大好きです。
まだまだ行きたい所が沢山ある、魅力的な、大きな島です。




ワカシャチ漫遊記第3章「善通寺・四国水族館」2020年3月

3月22日(日)
善通寺
五岳山 善通寺の創建は、『多度郡屏風浦善通寺之記』(江戸時代中期成立)によると、
唐より帰朝されたお大師さまが、御父の寄進した四町四方の地に、
師である恵果和尚の住した長安・青龍寺を模して建立したお寺で、
大同2年(807)臘月(陰暦12月)朔日に斧始めを行い、弘仁4年(813)6月15日に落慶し、
父の諱「善通(よしみち)」をとって「善通寺」と号したと記されています。
京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつ
総面積約45,000平方メートルに及ぶ広大な境内は、「伽藍」と称される東院、
「誕生院」と称される西院の東西二院に分かれています。
金堂、五重塔などが建ち並ぶ「伽藍」は、創建時以来の寺域であり、
御影堂を中心とする「誕生院」は、お大師さまが御誕生された佐伯家の邸宅跡にあたり、
ともに弘法大師御誕生所としての由縁を今に伝えています。
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金堂
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五重塔
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御影堂
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月例御影供
承和2年(835)3月21日(陰暦)、弘法大師空海は高野山奥の院にて御入定されました。
毎月21日に月例御影供が行われています。(10月除く)
正御影供(4月21日)は、宗祖の御恩に感謝の誠をささげる法会です。
法会は2日にわたっておこなわれます。初日はお大師さまの御入定を偲び、二日目の法要では、
献香、献茶がおこなわれ、また、朱塗りの三方にのせられた山海のさまざまな食材や御菓子を
僧侶たちが手渡しで供養壇におくり、最後に導師の手で御宝前にそなえて、
お大師さまの恩に報い感謝の念をささげます(百味供養)。
祭文(さいもん)の読誦は、寺内若手僧侶によって独特の調子で声高らかに読み上げられます。
この正御影供にあわせて、伽藍では春市(植木市)がひらかれます。
熊岡菓子店
善通寺市のお大師さん総本山善通寺のすぐ近くにある堅パンで有名なお店。
120年以上も続く老舗店で、日清戦争の頃に日持ちがして腹持ちがいいものを
という軍からの要望で作られたものらしいです。
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案の定人気の堅パンは売り切れていたので、
ミレーとえびせんを買って帰りました。
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四国水族館
“四国水景”をテーマに、四国のダイナミックで多様な水景と、
そこに息づく生きものを紹介する水族館。
「綿津見の景」では、スマやマダラトビエイなどの魚が黒潮にのって
回遊する様子を再現するほか、海の中で、
鳴門海峡のうずしおを見ているかのような感覚を体験できる「渦潮の景」、
瀬戸内海を背景に躍動的に泳ぐイルカたちを眺められる「海豚プール」など、
四方を海に囲まれた四国ならではの演出となっている。
「水遊ゾーン」では、海の生きものたちとふれあえる。
コロナウイルス感染の影響で、3月20日グランドオープン予定が4月13日に延期。
その4月13日オープンも延期が発表された。
4月1日より、平日に限り、四国在住の方のみ見学できるようになっている。
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香川県綾歌郡宇多津町の瀬戸大橋が見える、ゴールドタワーの隣にオープンします。
コロナウイルス感染が終息したらすぐにでも行ってみたいです。

ワカシャチ漫遊記第3章「東京出張と大阪」2020年3月

2020年1月20日から2日間 東京出張
2020年3月14日から2日間 友人の納骨式
特に3月の大阪は、ノロウイルス感染が広がる中で行ってきました。
大阪の予定は、本来であれば2日目は京都観光を予定していましたが
事情が事情だけに、予定を切り上げ帰宅となりました。
東京へは、会社の出張で行きました。
天気は快晴で、テンションはMAX。
この時期はまだ、コロナウィルスの感染は出ていなかった。
高松空港から、羽田へ飛行機で移動。
綺麗な雲海。
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富士山もはっきり見えました。
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伊豆半島も見えました。
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翌日は、出勤までの時間を利用して散策。
新国立競技場
1958年(昭和33年)に開場した国立霞ヶ丘陸上競技場(旧・国立競技場)の老朽化対応と、
東京オリンピック・パラリンピックの主会場とすることを念頭に、
旧・国立競技場の全面改築により建てられた施設で、
新国立競技場の仮称にて2012年より建設事業に着手。
2016年12月に着工し、2019年7月3日に開場後の正式名称が
『国立競技場』となることが日本スポーツ振興センターより発表され、2019年11月に竣工。
2019年12月21日に施設の開場式(オープニングイベント)を開催した。
本来ですと2020年7月に東京オリンピックの開会式が行われる予定でしたが、
コロナウイルスの関係で1年延期され2021年7月開催となった。
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嘉納治五郎像
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東京スカイツリー
2012年5月22日にグランドオープンした、地上デジタル放送などの
電波を送信する世界一高い自立式電波塔。
伝統的日本建築などに見られる「そり」や「むくり」をもち、
五重塔の心柱制振システムなど、古来の技と日本の最新技術による制振構造となっている。
高さは634mで、「藍白」をベースとしたかすかに青みがかった白が、
繊細な輝きを放つ。その足元には、大型商業施設「東京ソラマチ」をはじめ、
水族館、プラネタリウム、郵政博物館などがあり、
街全体を「東京スカイツリータウン」という。
東京スカイツリーは、新型コロナウイルスの感染症(COVID-19)の感染予防
および拡大防止のため、お客さまと従業員の安全を鑑み、
3月1日(日)から3月15日(日)までの臨時休業を予定しておりましたが、
3月10日(火)に示されました政府の「新型コロナウイルス感染症対策本部」の方針を受け、
臨時休業期間を当面の間延長されている。
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3月14日(土)大阪へ高松からバスで行きました。
関西エリアは、徐々にコロナウイルスの感染拡大が始まっており、
関西行きのバスはがらがらでした。
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道頓堀の行列はマスクを求め、薬局に並ぶ人です。
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お決まりのたこ焼きと、551の肉まんを食べました。
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コロナの感染危機が迫る中、友人i君の納骨式を無事終え、懐かしいメンバーで
久々に食事しました。(i君をしのぶ会)
夜は、後輩のa君と食事しました。
大阪駅周辺の変わりようがすごかった。
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翌日、早々に大阪を後にしました。
天気が良かったので宿泊先(心斎橋)から徒歩でアメリカ村を通って難波へ。
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戎橋から
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法善寺お参り
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時間の短い、中身の濃い、大阪散策でした。


ワカシャチ漫遊記第3章「徳島散策とスイーツ三昧旅」2020年3月

2020年3月1日(日)
イチゴがおいしい情報を教えてもらったので
徳島までイチゴを買いに行きました。
高松からは高速を使い1時間弱で行ける距離です。
国道318号線、土成インターの南北2キロが
12~5月はストロベリーロードになります。
3月11日以降は全ての直売所がオープンし、
国道沿いはいちごを買いにくるお客さんの車で賑わいます。
各農家さんのこだわりのいちごを購入できます。
我々は天然温泉御所の郷でイチゴを購入しました。
天然温泉御所の郷
御所の郷は、阿讃の山々に抱かれるようにひろがる
土御門上皇ゆかりの地に湧き出た極上の天然温泉です。
個々の売店で、この時期はイチゴがたくさん並びます。
10時の開店と同時に美味しいイチゴをゲットしました。
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美味しいイチゴをゲットした後は、徳島で有名な
いちご大福の店に大福を食べに行きました。
福屋 盛寿の郷
「さくらももいちご」を真白で柔らかな餅でそっと包んだ
いちご大福を食べることができるお店です。
さくらももいちご
「さくらももいちご」は徳島県佐那河内村のわずか数軒の農家のみでしか生産されない、
とてもレアないちごで、同じく佐那河内村ブランドとして人気の
「ももいちご」よりワンランク上とされます。
一粒一粒に栄養が集まるよう大切に栽培された果実は大粒で美しく色鮮やか。
口の中にあふれる果汁は酸味が少なく非常に甘味が強いです。
厳しい品質基準が設けれれており甘さや傷の少なさなど審査を
クリアしたものしか出荷されません。
味と美しさに拘ったプレミアムいちごです。
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しっかりおなかを満たした後は、浄瑠璃を見に行きました。
といっても、資料館だと思って行ったところ、ラッキーにも
浄瑠璃の上演を鑑賞することができました。
安価な入場料で、生の浄瑠璃が観賞できるとてもお得感があります。
徳島県立 阿波十郎兵衛屋敷
人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」は、 1698年に罪状も明らかにされないまま
藩の政策上の犠牲となって処刑された庄屋、 板東十郎兵衛の名を借りて、
お家騒動の物語に仕立てたものと言われています。
阿波十郎兵衛の屋敷跡であり、「傾城阿波の鳴門」ゆかりの場所です。
阿波十郎兵衛屋敷では、国の重要無形文化財「阿波人形浄瑠璃」を毎日上演しています。
また、展示室では、阿波人形浄瑠璃の特色や木偶人形の展示を見ることができます。
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『傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)』のあらすじ
傾城阿波の鳴門の主人公、徳島藩臣下の阿波十郎兵衛(あわのじゅうろうべえ)は、
主人を助けるために盗賊に身をやつします。
そこへ生き別れていた娘のおつるがあらわれます。
母のお弓は、娘のためを思い、自分が母親であることを隠して
おつるを追い返しますが、十郎兵衛は娘と知らずおつるを殺してしまいます。
この物語は実際に徳島藩の家臣であった坂東十郎兵衛が
不本意な嫌疑で処刑されたことから、その悲劇を元に創作されたそうです。
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上演後は、一緒に記念撮影もしていただき、大満足。
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調子に乗って、農村歌舞伎の施設を見に行きました。
犬飼農村舞台
犬飼農村舞台(いぬがいのうそんぶたい)は、徳島県徳島市八多町八屋の
五王神社境内にある人形芝居の野外舞台。
重要有形民俗文化財。とくしま88景。
1873年(明治6年)に建造され、物語に応じて舞台を変化される昔のままのカラクリが、
よりそのままに近い状態で残っているのが特徴である。
毎年秋に人形浄瑠璃を上演している。
全国各地に作られた農村舞台の多くが歌舞伎用の舞台であったのに対し、
徳島県に作られた農村舞台は人形浄瑠璃の為のものである。
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本日の夕食:味処あらし(鳴門)
鳴門近海の旬な魚料理を一番新鮮な状態で味わえます。
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ワカシャチ漫遊記第3章「笠岡散策」2020年2月

2020年2月22日(土)
3連休初日、広島に帰る途中に笠岡を散策しました。
遍照寺多東塔
遍照寺の多東塔は、慶長11年(1606)の建立で、
岡山県下の多宝塔建築の中では最も古い。
この多宝塔の亀腹(ドーム状の屋根)は本瓦葺になっているが、
かつては漆喰で固めてあったものを、明治時代の修理のとき改変したといわれる。
内部の天井・壁・柱などには装飾文様・絵画が極彩色で描かれている。
塔の傍らには、落慶供養のため法華経を読誦したことを記す石碑が建っている。
また、多宝塔と並んでそびえ立つ大きなイチョウの木は、
塔の建立記念に植樹されたといわれている(市指定天然記念物)。
遍照寺は駅前土地区画整理事業によって移転しており、
現在、多宝塔の周囲は「いちょう公園」として整備されている。
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移転した遍照寺にも行ってみました。
現在は、閑静な住宅街の中にありました。
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笠岡市立カブトガニ博物館・恐竜公園
国指定天然記念物“カブトガニ繁殖地”である神島水道をのぞむ、
世界で唯一のカブトガニをテーマとした博物館。
建物はカブトガニをイメージした形状をしています。
また、国内では数少ない本格的恐竜公園を併設しています。
園内に展示される7種8体の実物大の恐竜及び景観はすべて
学術監修を受けて製作されており、恐竜の生きた時代を体験できます。
駐車場からカブトガニ博物館に向かう途中に
沢山の恐竜に出会います。
以前、豊橋で行ったのんほいパークを思い出しました。
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カブトガニ博物館
カブトガニ(甲蟹、兜蟹、鱟、鱟魚)とは、
鋏角亜門・カブトガニ目に属する節足動物の総称、
およびそのうちの一種 Tachypleus tridentatus の和名である。
お椀のような体にとげのような尻尾を持つ。
建物は上空から見るとカブトガニの形に見える。
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生きているカブトガニを直接見ることができた貴重な体験でした。
泳いでるカブトガニです。
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https://youtu.be/b_5K1BiFh0g

(本日のランチ:中華そば専門店 坂本
笠岡ラーメン
笠岡にはラーメンが食べられるお店が30数軒あります。
なかでも、鶏ガラだしの醤油スープに煮鶏のチャーシューが乗った
「笠岡ラーメン」は、笠岡ならではの味です。
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ワカシャチ漫遊記第3章「淡路島 洲本・南あわじ散策(水仙観賞)」2020年2月

2020年2月15日(土)
一日中どんよりとした天気でした。
淡路島の水仙が見頃を迎えているということで
洲本市・南あわじ市散策もかねて観賞してきました。
先山千光寺
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の二柱の神が
最初につくった山であることから、「先山」と名付けられたとされます。
千光寺は先山の頂上につくられ、そのすぐ下方には天の岩戸に姿を隠した
天照大神を祀る岩戸神社があります。
豊かな自然の中にある国生み神話ゆかりの地です。
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縁起にちなんだ珍しい駒猪
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山頂からの眺めは「洲本八景
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岩戸神社
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紀淡海峡と由良・成ヶ島
天然の良港としての由良は、瀬戸内の海上交通の重要な場所であった
紀淡海峡を収める拠点として、海上の交流・交易拠点として
紀淡海峡における海人の活動拠点となったことが考えられます。
また、『古事記』・『日本書紀』の中に書かれてある、
天日槍の「出石の刀子」ゆかりの生石神社もあります。
成ヶ島は洲本市南部由良市街地を守るように横たわる無人島で、
約2キロにのびる砂州があることから「淡路橋立」とも呼ばれています。
生石海峡展望台より紀淡海峡・紀伊半島を望む。
残念ながら、本日曇りのため、紀伊半島は見ることができなかった。
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生石岬展望台より紀淡海峡・紀伊半島を望む。
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淡路橋立天橋立そっくり。
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生石公園
成ヶ島を見下ろす高台に位置している公園、生石公園は、
紅梅と白梅が約260本植えられており、
春には梅の甘い香りが漂う島内有数の梅の名所です。
また由良要塞の遺跡が残る公園としての顔も併せ持っており、
園内には攻撃に来た敵の侵入を食い止めるための「堡塁(ほるい)」や
かつて大砲が置かれていた「砲台跡」、さらに大砲の「砲身」など、
貴重な光景を見ることができます。
紀望台あたりの紅梅・白梅、ナルトサワギクの黄色ががきれいでした。
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要塞跡・第一砲台跡
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生石鼻灯台
光達距離:12海里  塔高 :10メートル  灯高:118メートル の小さな灯台です。
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「出石の刀子」ゆかりの生石神社
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淡路立川水仙郷
立川水仙郷(たちかわすいせんきょう)は、兵庫県洲本市由良町由良にある観光名所で、
水仙の名所として古くから知られる一方で、テレビメディアの影響で併設の施設も有名になった。
南あわじ市の灘黒岩水仙郷と並び淡路島2大水仙郷の1つと銘打っている。
1月から2月にかけて、約500万本の水仙が太平洋に面した南向き斜面一面に咲き誇り、
独特の甘い香りを漂わせる。
灘黒岩がニホンスイセン一種の純粋な自生地なのに対して立川は
栽培による植栽がほとんどの観光農園であり、品種も地中海原産が多くを占める外来種である。
また、灘黒岩が公営であるのに対し立川は私営である。
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UFO神社
崖の向こうにUFOが飛ぶ!? 不思議な「UFO神社」
「探偵!ナイトスクープ」の取材が話題となったことから記念碑まで建っている。
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灘黒岩水仙郷
灘黒岩水仙郷(なだくろいわすいせんきょう)は、
兵庫県南あわじ市灘黒岩に位置するスイセンの群生地である。
日本三大群生地の一つ。
日本三大水仙群生地は、越前海岸(福井県)、鋸南町(千葉県)
そして淡路島といわれています。
約7ヘクタールの敷地に約500万本の一重咲きの野生のニホンスイセンが咲きます。
全体的に水仙の見頃はすでに過ぎていました。
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水仙の向こうに沼島が見えます。
沼島
淡路島は、『古事記』では淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)と書かれ、
『日本書紀』では淡路洲と書かれていて、
伊弉諾尊(いざなきのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の産んだものとされる。
この『記紀』によると伊弉諾尊・伊弉冊尊の二神が天上の「天浮橋(あめのうきはし)」に立って、
「天沼矛(あめのぬぼこ)」をもって青海原をかき回し、その矛を引き上げたところ、
矛の先から滴り落ちる潮が凝り固まって一つの島となった。
これがオノゴロ島で、二神はその島に降りて夫婦の契りを結んで国産みを行った。
初めに造られたのが淡路島で、その後次々に島を生んで日本国を造られたとされる。
おのころ島の所在地については諸説ある。
そもそも架空の島であると言う説、淡路島北端の淡路市にある絵島、
南あわじ市榎列(えなみ)の自凝島神社のある丘、あるいは淡路島全体であるという説もある。
しかし沼島には古来おのころ島の伝えがあり、天沼矛に見立てた奇岩
おのころ山に鎮座して二神を祭る「おのころ神社」が存在するため、沼島とする説もある。
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薬王寺
高野山真言宗・薬王寺は、寺伝によると、和銅元年(708)
名僧・行基が開基した寺となっています。
本尊は「薬師如来」で、行基作とされています。
正月を中心に「厄除祈祷」の寺として、淡路島内の方はもちろん、
島外の「厄年」の方が参拝されます。
名物は、大鏡餅と台座の三方合わせて総重量約170kgを腹に抱えて運び、
歩く距離を競う薬王寺の新春恒例の行事です。
お正月のニュースで一度は見たことがあるのでは。
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本日のランチ
由良の新島水産で海鮮天丼とフグのから揚げ重。
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本日の夕食
南あわじ市の志知カフェで名物の玉ねぎを使ったオニフラカレー男。
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大満足の淡路島でした。


ワカシャチ漫遊記第3章「香川の国宝見物(建物編)」2020年2月

2020年2月11日(火)
香川県の国宝の建物を訪ねました。
国宝①本山寺
本山寺(もとやまじ)は香川県三豊市にある高野山真言宗の寺院で、
山号は、七宝山(しっぽうざん)院号は持宝院。
鎌倉時代再建の本堂は国宝で、本尊は絶対秘仏馬頭観音菩薩。
四国八十八箇所霊場第七十番札所。
四国霊場では竹林寺・志度寺・善通寺とこの本山寺の4ヶ所だけという五重塔が目印。
天暦3年(950)の建立でしたが損傷が激しく明治43年に再建されました。
また、本尊の馬頭観世音菩薩で四国霊場では唯一のもの。
頭上に馬頭をいただく観音様で、
祀られている本堂のそばには馬の像が控えています。
大同2年(807)平城天皇の勅願により、弘法大師が七十番札所として開基。
当時は「長福寺」という名で、本堂は大師が一夜ほどの
短期間にて建立したという伝説が残ります。
およそ2万平方メートルの広大な境内には国宝の本堂はじめ、
仁王門、五重塔、鎮守堂、大師堂、十王堂、赤堂(大日堂)、
慰霊堂、鐘楼、客殿などが並び、大寺として栄華を極めた当時を偲ばせます。
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国宝②神谷神社
神谷神社(かんだにじんじゃ)は、香川県坂出市にある神社です。
坂出市東部、五色台の一峰・白峰山の麓に鎮座する。
「神谷」と呼ばれる谷間に位置し、境内の北方を神谷川が流れる。
国宝の本殿は鎌倉初期に建築された三間社流れ造りで、当初のままに現存し、
建築年代の明らかな社殿としてはわが国最古のものである。
国宝の社殿を持つ神社ではあるが、境内は比較的小さい。
そのほか、重要文化財の木造随身立像などの神宝を現在に伝えている。
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国宝③藤原佐理(ふじわら の すけまさ/さり)詩懐紙
藤原佐理は、「三蹟」と称えられる平安時代の書の名人のひとりです。
詩懐紙(国宝) - 香川県立ミュージアム蔵 - 安和2年(969年)に26歳の佐理が
祖父の藤原実頼の邸宅で行われた詩会に招かれた時に書かれた懐紙である。
「懐紙」とは書道用語では漢詩・和歌などを一定の書式に則って書写したもののこと。
本作品は平安時代の詩懐紙として現存する唯一の貴重な作品。
作風は小野道風の影響が強い。
その流動する筆線は、同じく三蹟に数えられる小野道風の書よりも変化に富み、
藤原行成の書より闊達に筆が動いている。
流麗で躍動感のある筆跡は「佐跡」とも呼ばれます。
佐理の書で最も古い「詩懐紙」には、『和様の書』独特のS字の筆線や、
表情豊かな線質など、それまでの唐様の書とは趣のちがう表現がされています。
また、この佐理の詩懐紙は現存する最古の詩懐紙といわれています。
香川県立ミュージアムを訪れましたが、現在、展示はなく、
ゴールデンウィーク頃に一般公開される予定とのこと。
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ここからは今日は、行っていません。
国宝④金銅錫杖頭
錫杖とは僧侶や修行者がもつ法具のひとつで、左右についた遊環をゆらして音を出し、
邪をはらい空間を清浄にする働きがあるとされます。
この錫杖は空海が師の恵果阿闍梨(けいかあじゃり)から授かって
持ち帰ったと伝わるもので、最も重要な寺宝のひとつです。
総長55cm、表裏の中央には阿弥陀如来像と脇侍の菩薩立像、
その左右に四天王を配しています。
鑞型による鋳造で、中国・唐代の金工品の中でも傑出したできばえを示す名品です。
※通常は、写真パネルによる紹介です。毎年6月13・14日
原品の特別公開を予定しています。
国宝⑤一字一仏法華経序品
経文と仏像を一行おきに書写する経仏交書経の遺品。
一文字一文字が仏(ほとけ)であることを示しています。
寺伝によれば弘法大師空海が経文を書き、母の玉寄御前が仏さまを描いたとされています。
縦30cmほどの上質の和紙を42枚つなぎ、長さ21mに及ぶ巻子仕立。
一行10文字詰420行で、総字数4187です。経文は端正な和様楷書体、
仏像はおおらかな筆記とあざやかな色彩で描かれています。
※通常は、複製本(コロタイプ印刷)です。
毎年11月3日に原本特別公開を予定しています。
国宝⑥肥前国風土記個人所有。
奈良時代初期に編纂された肥前国(現在の佐賀県・長崎県)の風土記で、
現存する5つの風土記のうちの1つ。
見る機会がわかりません。
これから、一般公開される日を楽しみに待ちます。

ワカシャチ漫遊記第3章「東京出張 朝の散歩」2020年1月

2020年1月20~21日東京本社へ出張。
快晴でテンションMAX。
行の飛行機からは、雲海の後、富士山の雪景色や、伊豆半島、三浦半島が眼下に広がる。
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初日は会議の後、昔お世話になった方との久しぶりの食事、
昔一緒に仕事人の送別会と、夜遅くまで忙しかった。
2日目、会社に出るまで、朝一から活動開始。
宿泊した浜松町のホテルを6時出発。
東京オリンピック2020の開会式が行われる、新国立競技場へ。
新国立競技場(オリンピックスタジアム)
国立競技場は、東京都新宿区霞ヶ丘町に所在する競技場。
独立行政法人日本スポーツ振興センターが管理・運営する。
2020年東京オリンピック・パラリンピックの主会場であり、
同大会ではオリンピックスタジアムの名称が使用される。
1958年(昭和33年)に開場した国立霞ヶ丘陸上競技場(旧・国立競技場)の老朽化対応と、
東京オリンピック・パラリンピックの主会場とすることを念頭に、
旧・国立競技場の全面改築により建てられた施設で、
新国立競技場の仮称にて2012年より建設事業に着手。
2016年12月に着工し、2019年7月3日に開場後の正式名称が『国立競技場』
となることが日本スポーツ振興センターより発表され、2019年11月に竣工。
2019年12月21日に施設の開場式(オープニングイベント)を開催した。
隈研吾によるデザイン。
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オリンピックミュージアムが隣接。当然まだ空いていなかった。
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テレビドラマでおなじみの嘉納治五郎像もありました。
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急いでスタジアムを一周した後、東京スカイツリーへ。
東京スカイツリー
東京スカイツリーは、2012年5月22日にグランドオープンした、
地上デジタル放送などの電波を送信する世界一高い自立式電波塔です。
伝統的日本建築などに見られる「そり」や「むくり」をもち、
五重塔の心柱制振システムなど、古来の技と日本の最新技術による制振構造となっている。
高さは634mで、「藍白」をベースとしたかすかに青みがかった白が、繊細な輝きを放つ。
その足元には、大型商業施設「東京ソラマチ」をはじめ、水族館、プラネタリウム、
郵政博物館などがあり、街全体を「東京スカイツリータウン」という。
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快晴で視界良好。
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富士山もよく見えました。
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ソラカちゃん
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そら(空)から東京スカイツリーに降り立った、星のカタチのあたまの女の子。
いつも首からさげた望遠鏡をのぞいては、はじめて出会うものにワクワクしているよ!
ちょっと好奇心旺盛すぎて、気持ちが先走ってしまう時もあるけれど、
ステキな発見ができたり、うれしいことがあったりすると、あたまの星がキラキラキラと光るよ。
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東京2020オリンピックマスコット「ミライトワ」
ミライトワという名前は、「未来」と「永遠(とわ)」という
ふたつの言葉を結びつけて生まれました。
名前に込められたのは、素晴らしい未来を永遠にという願い。
東京2020大会を通じて、世界の人々の心に、希望に満ちた未来をいつまでも輝かせます。
東京2020パラリンピックマスコット「ソメイティ」
ソメイティという名前は、桜を代表する「ソメイヨシノ」と非常に力強い
という意味の「so mighty」から生まれました。
桜の触角を持ち、驚きの強さを見せるソメイティ。
東京2020大会を通じて、桜を愛でる日本の心と
パラリンピックアスリートの素晴らしさを印象づけます。
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帰りの飛行機からも絶景が見れました。多分日本アルプスだと思います。
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充実した2日間でした。

ワカシャチ漫遊記第3章「東かがわ市散策」2020年1月

2020年1月13日(月)
東かがわ市を散策しました。
東かがわ市
香川県東かがわ市 は、平成15年4月1日に引田町・白鳥町・大内町の3町が合併して、
東かがわ市が誕生しました。
東かがわ市は、香川県の東の端で徳島県鳴門市と接しています。
地場産業の手袋生産は、伝統産業であり、はまち養殖の発祥地、
そして有名な製薬や和三盆糖などの伝統を今なお受け継ぐ、
伝統と文化、自然環境豊かな市です。
讃州井筒屋敷
讃州井筒屋敷は、江戸時代より醤油と酒造りを行っていた商家をリニューアルした観光施設です。
建物は江戸後期から明治期に建築されたもので、往時の趣をそのままに残しています。
住まいだった「母屋」は、昔の座敷や庭園の見学ができます。
また、蔵を活用したショップでは特産品の買い物や地魚の食事などが楽しめます。
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引田の古い町並み
東かがわ市引田は、江戸時代から”風待ちの港”として栄えてきました。
豪商の邸宅であった讃州井筒屋敷や、かつて郵便局だった建物を利用したレトロなカフェ、
そして国の手袋生産量の90%以上を占める東かがわらしい手袋ギャラリーなど、
ノスタルジックな町並みが残っています。
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ひけた鰤
環境に、エサに、安全に、そして美味しさにこだわる、
だから「ひけた鰤(ブリ)はうまさがちがう!!」のです。
ひけた鰤の規準
1.引田漁業協同組合(販売部)が責任を持って取り扱うもの
2.引田沖養殖漁場の大型小割(25m四方で深さ20m以上)で飼育されたもの
3.引田漁業協同組合が認めた飼料で育てたもの
4.夏季の赤潮危険期に、引田漁業協同組合が定めた制限給餌飼育を行ったもの
5.体重4kg以上のもの
その、ひけた鰤を食べさせてくれる店が、ワーサン亭です。
ハマチ養殖を成功させた、安戸池をみながら鰤料理を食べることができます。
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海蔵院東海寺
源平合戦の時に、阿波に上陸した源義経が大坂越をして
屋島に向かう途中に一時の休息を取ったと伝わる寺です。
境内には、義経が手を洗った手洗堂や馬の足を洗った馬洗池、
鞍を掛け置いた鞍掛松など見どころが多数あります。
若きヒーロー・義経が駆け抜けた跡を感じることができます。
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和三盆
主に香川県や徳島県などの四国東部で伝統的に生産されている砂糖の一種。
香川県東かがわ市引田では、讃岐和三盆の三谷製糖、ばいこう堂本店などがある。
和三盆に発音が似た「和三宝(わさんぼう)」という名称が引田で見られるが、
これは、ばいこう堂による商標名である。
ばいこう堂さんで、和三盆の試食と季節のおひな様の和三盆とチョコレート和三盆を購入。
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白鳥神社
鳥神社(しろとりじんじゃ)は、香川県東かがわ市に鎮座する神社で、
能褒野(三重県亀山市)で戦死し葬られたのち、白鳥となって飛び去った
日本武尊の霊が舞い降りた、という伝説が残る。
当地に降りた白鳥は間もなく死んだため、日本武尊の子である武鼓王が
廟を建て手厚く葬ったという。
白鳥神社はこの時に始まるとされている。
寛文4年(1664年)に高松藩初代藩主・松平頼重が朱印地200石を当社へ寄進して再興、
以後は天領となった。明治5年(1872年)に県社に列格される。
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手袋のアウトレット店/日本手袋工業組合/香川手袋資料館
全国シェア90%以上を誇る手袋シェア日本一のまち・東かがわ市にある手袋アウトレット店。
プロスポーツ選手のグローブはほぼ全部、市内の企業を中心に造られています。
日本手袋工業組合に加盟する手袋メーカー30社が、ゴルフ用手袋やファッション用手袋のほか
バッグや財布といった小物を随時持ち込んで販売しています。
ゴルフのグローブを購入しました。
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金本選手の手袋
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宮里藍選手・丸山茂樹選手の手袋
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白鳥温泉
阿讃山脈の山懐の「ツルぬるの湯」の白鳥温泉。
春は桜、秋は紅葉と、鮮やかに染まる静かな山間の自然に囲まれた湯治場。
泉質は単純硫黄冷鉱泉で、糖尿病や神経痛、慢性消化器病、
筋肉痛、冷え性などに効能があります。
地域住民が通う馴染みの温泉です。
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見る、食べる、浸かる三拍子そろった町でした。
少し前に行った、しろとり動物園もあり
見どころの多い、町です。