ワカシャチ漫遊記「京都紅葉狩りと世界遺産」2015年12月 VOL.2

2015年12月6日(日)後半。
世界遺産 二条城
二条城(にじょうじょう)は、京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある、
江戸時代の日本の城である。
京都市街の中にある平城で、足利氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏によるものがあるが、
現在見られるものは徳川氏によるものである。
また、後の近代において京都府の府庁や皇室の離宮として使用された。
城内全体が国の史跡に指定されている他、二の丸御殿(6棟)が国宝に、
22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財に、
二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されている。
さらに1994年(平成6年)にはユネスコの世界遺産(世界文化遺産)に
「古都京都の文化財」として登録されている。
徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀と、徳川慶喜の大政奉還が行われ、
江戸幕府の始まりと終焉の場所でもある。
中学の時の修学旅行で訪れて以来の2度目の訪問。
東追手門保存修理中でした。
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二の丸御殿庭園。
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天守閣跡から
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ここまでで、ほぼ本日の予定をクリア。
少し時間ができたので、新選組のルーツをたどりました。
まずは、新選組ゆかりの寺へ。
壬生寺
壬生寺(みぶでら)は、京都市中京区壬生にある律宗大本山の寺院である。
本尊は地蔵菩薩、開基は園城寺(三井寺)の僧快賢である。
中世に寺を再興した円覚上人による融通念仏の「大念仏狂言」を
伝える寺として、また新選組ゆかりの寺としても知られる。
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新選組遺跡
壬生寺境内東方にある池の中の島は、壬生塚と呼ばれている。
新選組組長・近藤勇の胸像と、遺髪塔、新選組屯所で暗殺された
組長芹沢鴨と隊士・平山五郎の墓などがある。
かつて壬生寺境内は新選組の兵法調練所に使われ、
武芸や大砲の訓練が行われたとの記録があり、
新選組隊士にまつわる逸話も多く残っている。
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近藤勇の胸像。
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光縁寺
京都市下京区にある浄土宗の寺院です。
創建は1613年(慶長18年)頃で、同じく京都市東山区にある
浄土宗の総本山・知恩院の末寺に当たります。
供養料として100円を納めると山南敬助らのお墓参りができます。
当時は毎日、門前を新撰組の隊士らが往来していたそうで、
そんな中で山南と同年齢だった当時の住職との交流が生まれたのだそうです。
切腹した隊士達や山南自身、その後多くの新撰組
関係者20数名がこの地で眠っています。
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前川邸
現在も、往事の姿をほぼとどめる前川邸。
隊士が増えてきて八木邸が手狭になったため、
道を挟んで斜め向かいの前川邸も屯所とした。
勇や歳三ら幹部はこちらにいたと思われる。
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八木邸
幕末の文久3年(1863年)春、14代将軍家茂上洛にあたり
その警護の為に上洛した浪士達は、ここ洛西壬生村に
宿所を求めましたが、間もなく江戸に呼び戻されることになりました。
しかしその中で八木家を宿所としていた芹澤鴨、近藤勇、土方歳三、
沖田総司、山南敬助、新見錦、原田佐之助、藤堂平助、野口健司、
井上源三郎、平山五郎、平間重助、永倉新八の13名は
浪士隊から分かれて京に残り、文久3年3月16日八木家右門柱に、
松平肥後守御領新選組宿という新しい表札を掲げ、
ここに新選組が誕生したのです。
奥座敷は芹沢鴨や平山五郎ら4人の隊士が暗殺された。
現存する刀傷の一部がその凄惨さを物語っています。
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日が暮れ始めたので、八坂神社に車を止め
高台寺の紅葉ライトアップを見学に。
高台寺
京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。
山号は鷲峰山(じゅぶさん)、寺号は詳しくは高台寿聖禅寺と称する。
豊臣秀吉の正室である北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るため
建立した寺院であり、寺号は北政所の落飾(仏門に入る)後の
院号である高台院にちなむ。
迦如来を本尊とする禅宗寺院であるとともに、
秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格をもった寺院である。
この時期、ライトアップとプロジェクションマッピングの演出があった。
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今日もかなり盛りだくさんの1日となりました。
大津SAで551の肉まんを食べて帰路につきました。

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