ワカシャチ漫遊記「奈良散策」2016年10月 VOL.1

2016年10月21日(金)22日(土)奈良を散策しました。
今回のメインの目的はキトラ古墳です。
平成28年度キトラ古墳壁画特別公開(第1回)の
事前応募に申し込み、当選したことに始まります。
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めったにチャンスなので平日休みをいただいて行きました。
折角なので、1泊し飛鳥エリアを中心に散策しました。
自身2度目の飛鳥エリアですが、更にディープな散策をしました。
10月21日(金)/
奈良県明日香村を訪れました。
7:20     名古屋        出発
8:30     亀山JCT       経由 
9:15     針テラス       休憩
10:20     犬養万葉記念館 
10:45      岡寺         
11:25     亀形石造物    
11:50     酒船石     
12:15     伝飛鳥板蓋宮析跡 
犬養万葉記念館
文化功労者・明日香村名誉村民であり、
「犬養節」で万葉ファンに親しまれた、
故 犬養孝氏の業績を顕彰する記念館。
「犬養孝・万葉の大和路を歩く」購入。
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岡寺
岡寺は、奈良県高市郡明日香村にある真言宗豊山派の寺院。
山号は東光山 、寺号は龍蓋寺(りゅうがいじ)とも称し、
詳しくは東光山真珠院龍 蓋寺という。
本尊は如意輪観音。(4.85m)
本尊、如意輪観音座像は塑像(土で造られた仏様)で、
弘法大師の作と伝えられ、塑像としてはわが国最大の仏像である。
さまざまな伝説を残した名僧、義淵僧正が創建した。
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亀形石造物
酒船石遺跡の北西に位置する謎の石造物。
1999年発見された。全長2.4m、幅2mの亀形を呈する。
顔を南向きにして据えられていた。
丸く彫られた両目、4本の指の表現が施された両足が特徴的である。
甲羅部分は円形の凹型になっており、水を溜める仕組みであったことがわかる。
万葉文化館には行かなかったが、駐車場(無料)に止めて散策する。
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酒船石
小高い丘の上にある花崗岩の石造物。
主軸はほぼ東西で、現存の長さ約5.5メートル、幅(南北)約2.3メートル、
厚さ約1メートルであるが、北と南の一部が欠けている。
上面に皿状のいくつかのくぼみとそれを結ぶ溝が刻まれている。
酒を造る道具、あるいは薬などを造るための道具とも言われ
諸説あるが定かではない。
近くに水を引いたと見られる土管や石の樋も見つかっていることから
庭園の施設とも言われている。
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酒船石に加えて、亀形石造物と小判形石造物および周辺の
遺構を含めて酒船石遺跡と呼ぶようになった。
伝飛鳥板蓋宮跡
板蓋宮(いたぶきのみや)は、7世紀中葉に皇極天皇が営んだ皇居。
一般には飛鳥板蓋宮と呼称される。
奈良県明日香村岡にある飛鳥京跡にあったと伝えられている。
645年、中大兄皇子と中臣鎌足が手を組みこの地で蘇我入鹿を
暗殺した、大化の改新の始まりの地です。
また最近では韓国ドラマチェジウ主演の「スターの恋人」の
ロケ地でも話題になった。
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13:00        川原寺跡
13:10        橘寺
13:30        亀石
13:50        飛鳥水落遺跡
川原寺跡
川原寺(かわらでら)は、飛鳥(奈良県高市郡明日香村)に所在した仏教寺院。
金堂跡に弘福寺(ぐふくじ)が建てられている。
飛鳥寺(法興寺)、薬師寺、大官大寺(大安寺)と並び、飛鳥の
四大寺の一に数えられた大寺院であったが、中世以降衰微した。
川原寺跡は国の史跡に指定されており、現在はかつての中金堂跡に
川原寺の法灯を継ぐ真言宗豊山派の寺院・弘福寺が建っている。
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橘寺
橘寺は聖徳太子誕生の地に太子自身が創建とされます。
この橘とは日本書紀によると田道間守(たじまもり)が
垂仁天皇の勅命を受けて不老長寿の薬を求め、
海を渡り十年後にある種を持ち帰りました。
しかし、その時はすでに天皇は亡くなっていたそうです。
しかたなく、その種をこの地にまくと芽が出たのが
橘(みかんの原種)であったことから、以来この地を橘と呼ぶようになった。
そしてここに橘の宮という欽明天皇の別宮が建てられ、
太子はここで生まれ子供頃を過ごしていました。
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二面石
飛鳥時代の石造物。
左右に二つの顔があり人の心の善悪二相を表したものと伝えられている。
橘寺の境内にあります。
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亀石
長さ3.6m、幅2.1m、高さ1.8mの巨石の下端部に動物の顔面のような
彫刻があり亀に似ていることから亀石と呼ばれている。
いつ誰がどんな目的で造ったのかは不明。
言い伝えによると、以前は北を向き、次に東を向いたという。
今は南西を向いているが、西を向いて睨みつけると、
奈良は一円泥の海と化すと伝えられている。
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飛鳥水落遺跡
中大兄皇子が造った日本初の漏刻(ろうこく)跡です。
飛鳥川の水を使って時を計っていました。
漏刻とは水時計のことです。
「漏刻」台が築かれた背景として、当時の中国的な
政治理念にもとづいた「時の支配」の観念が
存在したことが考えられている。
出土した土器の検討から650年~660年代の間に造営され
廃絶したと推定されている。
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午後のキトラ古墳へ続く

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