ワカシャチ漫遊記第2章「松山散策」2017年9月VOL.3

2017年9月9日(土)
先週と今週2週にわたり松山市内を散策しました。
今週は、三津浜エリアと城北エリアを追加し散策しました。
愚陀仏庵跡
正岡子規が療養のために居候し、1階に正岡子規、
2階に夏目漱石が住み、52日間共に過ごし、
俳句づくりに没頭しました。
小説「坊ちゃん」はここで過ごした松山での
教師体験を元に生まれました。
この「愚陀佛庵」という名前は夏目漱石の自分の俳号
「愚陀佛」から名付けたという説と、正岡子規が「愚陀佛がいる庵」と
呼称しているところから、正岡子規が名付けたという説があります。
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勝山小学校跡・松山中学校跡
子規は、この番町小学校の前身、勝山学校の卒業生で、
当時の勝山学校は二番町の北側西詰、
西日本電信電話四国事業本部愛媛支店敷地内にあったが、
明治19年8月、現在位置に移転した。
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松山中学校は、現在の松山東高等学校の前身で、正岡子規や
秋山好古・真之兄弟が学び、夏目漱石が英語の教師として教壇に立ったところ。
現在は、漱石の句を刻んだ「松山中学校跡」の石碑が建っています。
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高浜虚子住居跡
虚子の生家池内家(松山藩祐筆)は子規生い立ちの家の北隣りにあったが、
明治8年(一八七五)、虚子の生後間もなく北条の柳原(西の下)に郷居し、
のち、明治14年、松山にり榎町に住み、翌年玉川町84番戸に居を定め、
ここが虚子生い立ちの家となった。
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明教館
文政11(1828)年、松山藩主松平家11代当主松平定通さだみち公が、
藩士の文武稽古所として二番町に建てた藩校の講堂です。
ここでは、正岡子規、秋山好古よしふる・真之さねゆき兄弟
など多くの先人たちが学びました。
設立時の講堂は現在も県立松山東高等学校の一角に現存している。
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お囲い池跡
このあたりは、もと松山藩のお花畑(松平家の別荘)があり、
その中に石手川の豊富な伏流水をたたえた
かんがい池が掘られていました。
司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」では、海軍兵学校時代の
秋山真之が帰省中にお囲い池で遊び、
また陸軍の兵隊とけんかする姿が描かれています。
現在は松山市青少年センターが立っている。
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子規の句碑
俳句の聖地「愛媛・松山」を象徴する句碑であり、正岡子規の代表句。
駘蕩(たいとう)とした松山の風光を見事に表現している。
昭和24年4月に同じ句を刻んだ小さな句碑が、戦後にいち早く
国鉄(JR)松山駅前に建立されたものの、昭和28年松山市駅前へ移動。
のち松山市立子規記念博物館横へと移された。
現在は、巨大な句碑となってJR松山駅前、西北隅に建っている。
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「春や昔十五万石の城下哉」
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現在、今治へJR通勤しており、毎日この句碑を見ています。

VOL.4へ続く。

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