ワカシャチ漫遊記第3章「高野山お礼参り・満喫高野山」2019年11月 VOL.1

2019年11月9日10日
高野山へお礼参りに行ってきました。
高野山お礼参り
四国八十八ヵ所はすべて巡礼が終わり結願すると
高野山へお礼参りに行く習わしがあります。
四国遍路は弘法大師の足跡を辿る旅でもあり、無事に八十八ヵ所を巡り終えた
同行二人のご報告と感謝の気持ちをお大師様にお伝えするのです。
高野山では今でも弘法大師が生きて瞑想を続けられているとされる、
奥之院にある弘法大師御廟をお参りすることになります。
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また、高野山の紅葉もきれいだと聞いていましたので
あわせて散策もしました。
高野山へは、過去名古屋から
2011年12月日帰りバスツアー
2013年10月高野山と熊野古道
訪れていまして、今回は3度目となります。

2019年11月9日(土)
徳島港8:00発(10:10着)のフェリーで和歌山へ渡りました。
500円/人プラスしてグリー座席へ。
静かに快適な2時間の船旅でした。
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初日の行程は大まかに3部構成
①夕方まで九度山散策
②夕方から高野山紅葉狩り
③夜は奥の院ナイトツアー参加
<九度山散策>
丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)
紀ノ川より紀伊山地に入り標高450メートルの天野盆地、
この地に丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)が創建されたのは、
今から1700年前と伝えられます。
丹生都比売大神は、天照大御神の御妹神さまで、神代に紀ノ川流域の
三谷に降臨、紀州・大和を巡られ農耕を広め天野の地に鎮座されました。
丹生都比売大神を祀る神社は全国に108社 摂末社を加えると180社余を数えます。
丹生都比売神社は、その総本山です。
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本日のランチ
幸村庵
古民家を改装した風情ある店内で、本場信州の「蕎麦」が味わえます。
麺は「二八そば」でつるつるとのど越しがよく、ざるそばのツユは、本格的な濃い口。
かけそばのツユは、関西風の薄味です。
郷土料理の柿の葉すしもセットで付いてきました。
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少し待ち時間があったので、真田庵と真田古墳の見学を済ませました。
善名称院(真田庵)
善名称院(ぜんみょうしょういん)は、和歌山県九度山町にある高野山真言宗の寺院です。
真田昌幸・信繁の蟄居時代の草庵跡と伝わる場所です。(諸説ある)
和歌山県の史跡に指定されており、別称は真田庵(さなだあん)。
境内には、真田昌幸公の墓所もあります。
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真田古墳(真田抜け穴伝説)
真田庵から東へ170mほどの所にあり、「この穴の向こうは大坂城に続いていて、
かつて真田幸村はこの抜け穴を使って戦場へ出向いた。」という伝説が残っています。
実際は、古墳時代後期(6世紀頃)の古墳でしたが、
真田の伝説が残る場所として、真田古墳と名付けられました。
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九度山・真田ミュージアム
NHK大河ドラマ真田丸の真田昌幸・幸村・大助の真田三代の軌跡と
14年間という幸村の生涯で一番長い時間を過ごした九度山での生活を
パネル展示とドラマ仕立ての映像により紹介しています。
館内には、九度山時代の生活の様子が再現されている部屋があり、楽しいしかけも用意されています。
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仏師能光尊
仏師であった能光尊は、備前(岡山県)の美作郡に生まれ、鳥羽院の時の人で、
後に九度山町入郷に居住し、永治元年(1141年)高野山中門の多聞、持国の二天王を彫刻し、
その他幾多の仏像を彫刻された偉大な仏師であった。
また、鳥羽院の御前において笛をつくり献上されたことも伝えられています。
昔から、首から上を病む人にご利益があると言い伝えられています。
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慈尊院(女人高野・結縁寺)
平成16年7月世界遺産に登録された慈尊院は、
弘仁7年(816年)弘法大師(空海)が、高野山開創に際し、
高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、
一の庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました。
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丹生官省符神社
“高野御子が狩人の姿で現れ、従えていた白・黒2頭の犬を放って、
弘法大師を高野山へと導いた”という伝説があり、弘法大師が慈尊院を創建する際に
鎮守として高野御子とその母である丹生都比売(にうつひめ)を
祀ったのが丹生官省符神社の始まりだと伝えられています。
社殿三棟は木造一間社春日造、桧皮葺、極彩色北面で重要文化財に指定されています。
平成16年年7月、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録された。
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左屋根の下、灯篭の上の間から高野山を見ることができます。
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高野山町石道(世界遺産
高野山町石道は、弘法大師・空海が高野山を開創した際、
木製の卒塔婆を建てて道標とした表参道です。
弘法大師はこの道を通り、月に9度は山をおりて麓の慈尊院に滞在していた
母のもとに通われたといわれ、現在の地名「九度山」の由来となりました。
やがて、大師信仰の広まりとともに多くの人々が参拝に訪れるようになり、
高野山へ通じる7つの道が開かれ、「高野七口」と呼ばれました。
中でも高野山町石道は主要参詣道として利用され、町石は単なる道標ではなく、
参拝者が卒塔婆形町石に礼拝をしながら山上を目指したことを今に伝えています。
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卒塔婆形町石(そとばがたちょういし)
高野山壇上伽藍を起点とし山麓の慈尊院に至る参詣道に180基、
壇上伽藍か ら奥之院に至る参詣道に36基の卒塔婆形町石が
1町(約109m)ごとに建てられています。
町石には密教の仏尊を示す梵字と壇上伽藍までの町数、
そして寄進者の願文が刻んであり、全長約23km(うち高野山内4km)、
標高差700mの道をたどりました。
町石道が開かれた当初は木製であったため、やがて朽ちていきましたが、
鎌倉時代、幕府の有力御家人、安達泰盛らの尽力で朝廷、貴族、武士などの
広範な寄進により木製の卒塔婆に代わって石造の五輪卒塔婆が建立され、
ほぼ完全な形で今日に遺されています。
百八十丁
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三拾丁
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四丁
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丹生酒殿神社(にうさかどのじんじゃ)
天照大神の妹君・丹生都比売命(にゅうつひめのみこと)を含め
複数の神を合祀した『丹生酒殿神社』。
神社名は木の川(=紀の川)の水でお酒を醸造した事に由来していると言われています。
また、丹生都比売神がこの地に降臨した時、地主神の竈門明神が酒を造り、
初めて神前に供えた事に由来するという説もあります。
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九度山散策を終え、いよいよ高野山へ(車ですが)。
VOL.2へ続く。


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